24 EveryDay日曜日
 開設日:2005.3.22.                                               最新更新日:2024. 3.28.

ようこそ!

■EveryDay日曜をご訪問いただきありがとうございます。
今年87歳を迎える一人暮らしの田舎の爺が親しき友や子供たちそして孫たちにその日暮らしを知らせるため書き連ねています。お気にさわるところがございましたら、ご容赦ください。
1999年(平成11年)12月31日「毎日を日曜日にする!」と家族に宣言、会社を退職する。
爺は1937年(昭和12年)10月19日、三ヶ尻飛行場の練習機が近くの畑に墜落した日、「おぎゃあ~」と生まれたらしい。物心ついた時は太平洋戦争真っただ中、祖母が壁に貼ってある世界地図に大本営発表を聞きながら、日本が占領した街にピン付きの日の丸の旗を刺していた。上海・マニラ・シンガポール・インドネシア・ビルマと日の丸が東南アジアいっぱいに広がるのを子供心に薄っすらと覚えている。その大本営発表が真っ赤なウソだったとは終戦後しばらくたってから知った。
そして敗戦、"男女席を同じゆうせず"、"ほしがりません勝つまでは!"、"勝ち抜け!"のスローガン、軍部による言論統制、憲兵の闊歩する暗い時代から、新しい開かれた時代へと変わった。
当然、三ヶ尻飛行場にも米軍が進駐してきた。大きな金髪の兵隊さんやパンパンが闊歩し、公道では人目もはばからず抱き合ってキスをするという、環境の変化に、爺はショックを受けたのを覚えている。
そして、終戦の2年後、中国の北京からうす汚れた男が我が家に帰ってきた。母が「これがお前のお父さんだよ!」といったのである。小学校4年の爺は複雑な気持ちであったが、その距離感は親父が死ぬまで縮まる事はなかった。今思えば、親父の生きている間に、酒酌み交わし語り合っておけばよかったと思う。
農地解放により、大地主が没落し、苦しい小作農制度は終わり、農地が小作人へと払い下げられ、新しい農業の時代が訪れた。そして、日本列島改造論の高度成長期を迎え、食うや食わずの貧しい生活から一生懸命働けば何でも買える時代へと変わった。テレビ・洗濯機・冷蔵庫・掃除機・自動車と豊かさを享受した昭和から、平成になり、家の中はモノであふれ、労働で得たお金でモノを買わず貯蓄へと移っていったのである。
その貯蓄現象が景気を停滞させ、モノが売れず企業は生産調整へと進み、雇用は失われて、右肩上がりの経済成長の神話は崩れ去ったのである。
そんな激動の時代を額に汗して一生懸命生き抜いて来てきた。そして、気が付いてみたら家内に認知症の症状が出始め、すさまじい認知症介護の始まりであった。そして、糖尿病による視力低下も加わり歩行もままならぬ状態になってしまった。自宅介護が困難になり介護施設を探したが、空きがなくショートステイでつないでいた。その後、食事も取れぬようになり点滴でつないでいたが、肺に水がたまり肺の機能低下であっという間に私の前から53年の素晴らしい思い出を残して永遠に去ってしまった.
それからは一人暮らしでこの家を守っている。今年に入って足腰が弱まり何回転倒した事かその都度骨折したり擦りむいたりと高齢者の見本みたいな状況になりつつある。そして、朝早く目が覚め仏壇にお供えとお茶とお線香を上げ、亡き家内につぶやくのが日課になってしまった。