日本には認知症が認知症を介護する家庭があるに違いない。 

泣き笑い認知症奮戦記

家内が認知症になってから何年たったのだろう。
最初はトイレの電気を消し忘れが多くなったのが始まりであった。
平成27年彩の国いきがい大学熊谷学園専攻過程1期に入学し、1学期を終わるころ目が離せなくなり、途中退学したのでした。
しかし、パソコンクラブの講師を引き受け、クラブ活動のお手伝いをしたことを出席とみなしていただき卒業できたのでした。おかげで校友会の所属することができ、ホームページにかかわっていられるのです。
今月に入り家内の認知症が急激に悪化し、驚くとともに私の負担が倍増した。
炊事、洗濯、買い物、食事の支度、すべて私の負担となった。

症状
1.立ち上がれない.
2.着替えができない。
3.まったく記憶能力が無くなった。
4.トイレの場所がわからない。
5.昼夜ひっくり返って、夜中に起こされる。
6.ご飯を食べたのを覚えていない。
7.時間が全く分からない。
8、34度で寒いと言いこたつに入ってる。
9.眼が見えづらくなってきた。
10.手を引かなければ歩けなくなってきた。
11.眼が霞んで食事のおかずも見えず、補助が必要になった。

8月25日(火)
夜中の1時に「扉が閉まらない」と起こされる。見ると家内の部屋の押入れが全開と応接間の入り口が開いていた。「どこの戸が閉まらないの?」と聞いても家内は夢の中。「まだ、1時だから寝てください」と寝かせることにした。 朝になってそのことを話すと全く覚えていないのでした。
午後になって落ち着いたので家内の写真を撮ったのだが見てみると何か訴えているように感じたが気のせいだろうか?


8月26日 (水)
午後、姉の入居してるケアハウスのケアマネージャーさんと介護責任者に方が我が家に来て下さった。

(はなぶさ苑全景)
私が倒れてしまうのではないかと、姉が心配しているので様子伺いに来てくださったとのこと。
ショートステイやヘルパーさんを使って負担をなくすようにとアドバイス戴いた。
わざわざ施設の方が我が家に来てくださるなんて、本当にありがたいことだ.
家内は知らない人の訪問で一日正気なり!

8月27日(木)
入れ替わり我が家のメンテナンスに知らない人が来てるので、家内も気が張るのか一日正気なり。

(食事の時いつも座るところを忘れ、変なところに座ってしまう。いやはや・・・)

8月28日(金)
姉が入居してるはなぶさ苑の方がお見えになった。私が倒れてしまうのではないかと姉が心配して手はずを整えてくれたショートステイの説明であった。 ありがたいことです。感謝感謝
8月31日から2日までの2泊3日である。
これでゆっくり休めるのか休めないのかは当日にならないとわからないが、一先ず。一安心。

8月29日(土)

(座ると立ち上がれないので購入した籐のいす、お気に召さないらしい)

姉に電話してお世話になったお礼を言った。姉からの励ましの言葉を聞きながら45年ぶりに泣けてきた。
昨夜は2時間おきに3回起こされ、パソコンに向かっていると睡魔が襲ってくる。
部屋の温度が31度あるのに「寒い!寒い!」と言ってセーターを着て、こたつに入る始末、温度感覚が狂ってきたようだ。
ショートステイが終わったら、ご紹介いただいた田中医院(精神科)に連れて行こう。こんな生活を何年続くのだろうか?

8月30日(日)
昨夜も2時間おきに3回も起こされて寝不足。今日は朝から家内のショートステイの準備。
薬の分包、下着のネーム書き、歯磨きセット、ブラウス選び、と作業多し、しかし本人は未だショートステイの意味が分かっていないようだ。
一度用意してしまえば、次回からは楽だろうと思う。3日間は草刈り除草剤散布で終わってしまうだろう。
明日からショートステイというのに、何拾回となくなぜいかねばならないのかと聞いてくる。 同じ答えを何十回と答えるのについに、ぶっ切れてしまった。
感情をコントロールできない自分に深く自己反省。83歳になっても、悟り無き老人です。

8月31日(月)

(午後になるとこたつに入り、横になっている。エアコン入れると、30度で寒い寒いと言いながら・・・)

家内がはなぶさ苑に2泊3日のショートステイに行った。考えてみれば、もう何十年も離れて暮らしたことがなく、一人生活に不安な感じである。
最近、別々に生活したのは私が盲腸破裂による腹膜炎で2週間入院を余儀なくされたとき位であった。
ひとりになってみると妙に落ち着かない、この3日間私の方が大丈夫だろうかと不安になってきた。
話は変わるが、ショートステイ代金を郵貯から引き落としするのに、登録印鑑がわからなくなっていた。ほかの銀行印もすべて忘れてしまっている。一日かけて確認作業をする事にした。