認知症は「夫の存在」さえ忘れてしまう残酷な病である!

泣き笑い認知症奮戦記

家内が認知症になってから何年たったのだろう。
最初はトイレの電気を消し忘れが多くなったのが始まりであった。
平成27年彩の国いきがい大学熊谷学園専攻過程1期に入学し、1学期を終わるころ目が離せなくなり、途中退学したのでした。
しかし、パソコンクラブの講師を引き受け、クラブ活動のお手伝いをしたことを出席とみなしていただき卒業できたのでした。おかげで校友会の所属することができ、ホームページにかかわっていられるのです。
今月に入り家内の認知症が急激に悪化し、驚くとともに私の負担が倍増した。
炊事、洗濯、買い物、食事の支度、すべて私の負担となった。

症状
1.立ち上がれない.
2.着替えができない。
3.まったく記憶能力が無くなった。
4.トイレの場所がわからない。
5.昼夜ひっくり返って、夜中に起こされる。
6.ご飯を食べたのを覚えていない。
7.時間が全く分からない。
8、34度で寒いと言いこたつに入ってる。
9.眼が見えづらくなってきた。
10.手を引かなければ歩けなくなってきた。
11.眼が霞んで食事のおかずも見えず、補助が必要になった。

9月1日(火)

] (立ち上がれなくなったので購入した補助用具)

昨晩は8時に寝て5時まで爆睡した。頭がすっきりし、ホームページを修正している。
はなぶさ苑から電話があり「毎日飲む薬が若干多い」とのこと。「それはサプリメントですから一緒に飲ませてやってください」とお答えした。
「様子はどうですか?」と聞くと「お父さんはどこにいる」と質問したとのこと。説明したら納得したようです。

9月2日(水)

(歩行用の杖なのだが使い方がわからずハンドバッグのように持ち歩く)

ショートステイ最終日
午後2時39分頃ショートステイから家内ご帰還。
「ここが住んでる所」と一言言って家の中に入った。かなりお疲れの様子。ちょっと認知症が出ている。
明日からまた戦争だと思うと気が重いが、話がかみ合わぬが話人がいるのはいいものだ。
夕食後自分から進んで洗い仕舞をしたのには驚きであった。

9月3日(木)

(今後歩行が困難になるだろうと購入した歩行補助器、横幅が廊下いっぱいで使用思案中)

今朝、起きたのはよいのだが、トイレの座り方を忘れていた。手取り足取りトイレをすます。
以前から眼の中に金色の模様が見えると言っていたが、今朝の状況では盲目に等しい。どうすればよいのかと困ってしまった。
台所もわからないので手を取って座らせるも。椅子の存在さえ見えない様子。これには困った。毎日大変なことになりそうだ!



(最初はトイレが分からなかったが、今は台所も応接間も風呂もわからなくなったので部屋名を取り付けた)
今日は下着3回洗濯、その都度脱がせて新しいものに着かえさせ、洗濯機を稼働させる。
私自身、髭剃りも歯磨きも忘れてしまった。

9月4日(金)
今朝は3時に目が覚めてしまった。家内の寝室をのぞいたら珍しく寝ている。珍しいことだ。
夕べ家内が寝た後、今まで私のペースで介護をしてきて、常にイライラしてしまっていたが、それが間違いだったと気づいた。これからは家内のペースに私が合わせていこうと思う。
紹介いただいた「田中医院」に予約するために電話を入れたら、9月は空きがなく10月以降とのことであった。
家内の状況をお話ししたところ、検討して緊急扱いで9月15日午前11時に見ていただくことになって一安心。
本当に皆さんのご援助に感謝です。

9月5日(土)
昨晩は11時と3時にトイレが分からず2回起こされた。
毎回思うのだが、まともな時とまったく夢の中と、両極端には驚いてしまう。
家内の食欲がここ2日全くない。「ご飯もいらないパンもいらない」と拒否。そのため点滴でもしてもらおうとかかりつけのクリニックいったのだがまったくなんも対応もなく返されてしまった。
1週間食べなくても死ぬことはないだろうが、やはり心配。
薬をいっぱい出して、患者を薬漬けにするようなやぶ医者にはかかるのはやめた方がいい。
今日は久しぶりに長男が来てくれた。ありがたい。
宮原クリニックで介護認定が2か月もかかると聞き、お役所仕事はスロースローで済むのだからお役人はいいものだ!

9月6日(日)
12時と2時に起こされる。押入れのふすまを開けてトイレだと言い張る。手を取ってトイレに座らせる。
手を取って座らせないと浅く座って便座の中に汚物が入らぬ始末、真夜中にかかわらず悪戦苦闘です。
10日から植木屋さんが6人入るので「垣根や植木回りを草刈りしておいてください」と頼まれていたので30分草刈りした間にまたもや部屋の中をうろうろしている。片時も目が離せなくなってきたようだ!
相変わらず家内は食欲なし。これからどうしたらよいのか相談相手もなく、ただただ時間だけが過ぎて行く!
今日は一日中呆け呆けで会話がかみ合わない、なぜか虚しい!
その内私に向かって、「どなた様ですか?初めまして」何んて言いだすのではないだろうか!!!

9月7日(月)
今日は夜中のトイレでまったく、目が見えない状態となってしまった。介護しながら「これからどうなるのだろう」不安が頭中を駆け巡っている。
ケアマネージャーさんに「助けてください」と電話してしまった。
そしてすぐに我が家に駆けつけてくださった。ありがたいことだ。無理に9日から12日までのショートステイを組み込んでいただいた。

9月9日(水)~9月12日(土)
はなぶさ苑ショートステイ
友人のやってる介護施設「ゆず」を訪問する。民生委員の時入居者の金銭管理を任されていたので以前から経営者の息子さんとは面識があった。
はなぶさ苑のショートステイのつなぎを依頼をして、ご了解を頂き一安心。

9月12日(土)
ショートステイで車いすを使用していた関係なのか、歩行時によろめくようになってかなり歩行が大変になってきた。車いすを使うにしてもバリアフリーでない我が家では・・・・
以前もショートステイから帰ってくると大ボケであったが、今回もそれがひどくなってきた。
9月13日(日)
夜中の12時30分にトイレで起こされる。トイレを終わって部屋に入って驚いた、敷布団がはがされマットレスと敷布団の間に寝ていたようであった。
「布団が重くてしょうがないから、明日考えよう」と言い出した。「敷布団をかけていたのだからおもいはずだよ」といったがまったく理解していない様子。
1時に家内の部屋をのぞいてみたら、やはり敷布団のカバーをめくって布団の外で寝ていた。
2時ころ家内の寝室から。「どかん」と音がしたので行ってみると畳の上にひっくり返っていた。 「どうしたの?」と言うと「トイレに行くのにひっくり返った」言う。「さっきトイレは行ったばかり」と言ったのだが、トイレに行くという。そしてトイレ。部屋を見るとやはり布団カバーをはがしていた。なぜなのだろう?
またもや、3時30分家内の寝室から音がする。「トイレ」と言って部屋の隅にいる。やっと立ち上がらせてトイレに行くももう大変なり!その後、4時50分「トイレに行く」と言い出した。「昨夜3回トイレに行ったよ」と言って寝かせた。
睡眠は8時30分~12時30分まで、4時間寝たから良しとしよう。
午後、長男が顔を出してくれたホットする。20日から22日まで、我孫子で介護福祉士をしている長女が返ってきてアドバイスをしてくれることになった。楽しみなり!

9月14日(月) 昨夜も9時30分・11時30分・2時05分・4時30分と起こされる。
そのおかげで、思考力が落ちているように感じられる。
日中、相変わらずトイレの回数が多い。感覚がマヒしてるのだろうか? そして、妙に反抗するようになった。介護しながら昔の家内を思い出し大きな声を出してしまう未熟な私に気が付き、自己反省。

9月15日(火)
午前2時トイレに起こされるも、起こされる前に起きるという習慣が身についてしまったようだ。
今日は、認知症の専門医の診察、どのような診断が下されるのだろうか?8月に介護認定再審査をしたが、その時よりかなり進行したので再度申請することにした。
その際の指定医を「T医院」さんにお願いすることにした。
この原稿を書いてる間に3時半またトイレ、そして、4時に「お父さん」と呼ぶ声、行ってみると表のガラス戸を開けて、「トイレ」と言っている。
「そこはトイレでないよ、表戸、開けると外に出てしまうよ、トイレは30分前に行ったよ!」と言い聞かせて寝かせた。
2時以降、まったく寝られず!頭の芯が痛い。

9月16日(水)~9月20日(日)
今日からディサービスセンターゆずさんへ5日間のショートステイ!
昨日、認知症専門医T病院さんにいき家内を診て戴いた。お薬を頂き一安心であったが、その薬が効果なく、11時・1時・1時30分・1時55分・3時・3時55分・4時26分と7回起こされた。
いつもそうなのだが、大声を出して自己反省、1時以降寝られず!
家内がショートステイで、台所で一人でウイスキーをちびちび飲みながら、社内恋愛のころ、中央線で家内は武蔵小金井から私は中野から一緒に通勤し東京駅を降りて、会社まで馬場崎門を遠回りして出社したのを思い出していた。
入社間もない私は常務の秘書だった家内に仮払い伝票を差し出し、小遣いをせしめていた。(後に清算は正確にキチットしましたよ)、ほろ苦い若かりし頃の思い出である。

9月18日(金)
昨晩は9時間も爆睡
やはり家内がいないとぽっかり穴が開いたようになって落ち着かない。ショートステイで皆さんにご迷惑をおかけしてるのは確かだ。
このまま家内の眼が見えなくなったら、もう私の顔を2度と見ることはできないのだと思うと辛い。

9月20日(日)
今日、家内がショートステイから帰ってくる。また私の存在を忘れていなければよいのだが、この連休、長女が介護福祉士の知識を生かして家内の介護方法を考えてくれることになっている。長男も来るという、家族全員集合なり
家も忘れず、私の顔も忘れずに帰ってきてくれた。そして、子供たちが我が家にいるのに驚いている様子であった。
足もしっかりしている。ただ、やはり食欲はなく、夜も寝ないという。田中医院さんからいただいた就寝前の薬は効き目がないようだ。前から気が付いていたことだが、家内から表情が消えた。笑顔がないのだ、しげしげと私を見る目が気になる。

9月21日(月)
昨夜は久しぶりに長女と夜の11時まで話こんだ。夜の介護も任せていたので朝までゆっくりしたが、やはり夜中トイレに起こされたらしい。
家内の夜間のトイレや徘徊について昼間寝ていることが原因だろうと、今日は常に話しかけ家内を寝かさぬ作戦に出た。果たしてどうなるだろう

9月22日(火)
朝起きて長女に聞くと、やはり夜中に起こされたと言う。いったいどうなってるのだろうか?
今日は長女が返って行く、また二人だけの戦争が始まる。
相変わらず、トイレに行く回数が多い。その都度抱きかかえて起こし、トイレまで誘導し、トイレを済ませて元の所へ戻るのだ。
いやはや、老体には応える。今夜は寝かせてくれるのだろうか?

9月23日(水)
関東に台風が近づいてる。それてくれるように願うのみ。
昨夜は、夕飯も少ししか食べず7時30分に田中医院からいただいた就寝前の薬を飲ませて寝かせる。
私が食事をして、食事の後片付けを済ませて8時30分に寝ると、9時に「トイレに行く」呼ぶ、9時10分「寝られない」と呼ぶ、かかりつけのMクリニックに戴いている「レパス」を飲ませる。
驚いたことに、夜中一回も起こされない。もしかしたら私が熟睡し気が付かなかったのかもと思ったが4時ごろ覗いてみたらしっかり布団をかけて眠っていた。
今日は「T医院」に11時30分予約なので行く、家内の体力があれば「正田眼科」に行く予定。
しかし、家内の体力の消耗が激しく中止。家に帰ってあがりカマチで転倒する。37Kgの家内でも力の入らぬ体は非常に重い。20分も玄関で苦闘、お隣に助けを求めようかと思ったが、何とか立ち上がらることに成功、居間まで「イッチニ、イッチニ」と歩かせる。
午後、女学校時代のKさんから電話あり、懐かしそうに昔話をしている。こんな時は正常になってる。認知症とは不思議な病なり!
家内、相変わらず食欲なし!

9月24日(木)
昨夜は食事後、8時30分就寝。9時にトイレ、11時トイレ。
11時5分に「レパス」を飲ませる。2時ガタンと音がしたので行ってみると、「家に帰る」と表戸を開けている。「ここはお母さんの家ですよ」と告げるも「帰る」と反抗する。
「お母さんの家だからお父さんがいるんだよ」と話し、やっと納得する。
「今は夜中の2時ですから、寝てください」と話して寝かせるも、寝る方向がさだっまらず苦労する。
そして、4時40分布団の中でパンツを下ろして「トイレする」と言い出す。「ここはトイレでないから、歩いていくよ」とトイレに誘導無事済ませる。
昨日、T医院より戴いた就寝前の薬効果なし。
ディサービスセンター「ゆず」さんの日帰りディサービス日、ちょっと昼間寝ることにしよう。
家内、相変わらず食欲なし!この影響で体力の低下は免れないだろう。
ゆくゆくは立つことも不可能になるだろう。
「ゆず」さんから帰ってお疲れのご様子、すべて家内の流れに合わせることにした。夜中に起こされても、家内の命の叫びとして夫として受け入れようと考えた。たとえ私の命が枯れ果てても良いではないか!それが寄り添った53年の夫婦の絆だと思う。
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(トイレのひじ掛け)              (介護用車いす)

9月25日(金)
昨夜は7時30分就寝。7時50分トイレと呼ぶが、やはり表のガラス戸を開けてトイレと思っているようだ。9時05分「寝られない」と私を呼ぶ、見るとパジャマを脱いで、押入れを開け放っている。パジャマを着せて、就寝前の薬飲ませて寝かせる。
何日か前にもあったのだが、なんと9時から翌日の6時まで家内が爆睡したのだ。日帰りディサービスで疲れたのだろう。
かえって、私の方が目がさえて夜中に覗く始末、家内の介護が身体にに染みついてしまったようだ。
今日も「ゆず」さんの日帰りディサービスであった。やはり、食欲はなかったらしい。入浴させてもらったようだ。

9月26日(土)~10月9日(土)
はなぶさ苑さんへ2週間ショートステイ、ショートステイから帰ってくると、歩行の能力が低下してるように感じるので出来るだけ歩かせくれるようにお願いした。

9月26日(土)
昨夜は7時30分就寝、日帰りディサービスでかなり疲れたようだ!
10時20分トイレ、1時45分トイレ、「ご飯できた?」と言う。「今は夜中の1時45分ですよ、朝ごはんはまだ出来てないけど、お父さんが作りますから心配しないで」と告げる。すると「へえ~、頭おかしくなっちゃった」と言いながらお水を飲み。寝る。 その後、私は寝付かれず起きてしまった。
そして4時50分トイレ、「悪いね、お父さん」と言い、「そんなことないよ!お父さんはいつも起きてるから」と言い。寝かせる。
そんな言葉をもらうと、なぜか愛おしくなって仕方がない。

9月27日(日)
昨夜はおでんと熊本の馬刺で一人酒盛り、酒が進む!
死んだように8時間の爆睡、2~3日たつとまた眠れなくなる。習慣とは恐ろしいものだ。
家内は何故自分がショートステイに行くのか何度も何度も聞いてきた。何度説明しても理解できない様子であった。53年間も共に支えあって生きてきた家内を見捨てるような気がしてならない。私のわがままで施設をたらい回しにして逃避してるのではないかと自問自答している。
自分の全てを投げ出して介護する勇気もないふがいない夫である。

9月28日(月)
やることはいっぱいあるのだけれどもう一日のんびりしよう。
家内のショートステイの間に寝室の大掃除、カーペット新しくして、タンスの中の仕分けをする。そして、庭の除草剤散布と草刈りである。
秋になってあまり草は伸びないのだけれど、今度は冬草が繁茂する。もう一つの戦いは草退治である。
一人生活がこんなに寂しいものだとは知らなかった。
介護で飲むのを忘れてしまう薬を、今日は飲んだ!

(糖尿病と高血圧の薬)
飲まなければ、薬で生かされている私は一か月であの世行きになるだろう。
今日も私一人で馬刺しとウナギをつまみにチビチビウイスキー飲む。

9月29日(火)
久しぶりに、今日は彩の国いきがい大学熊連協のホームページ勉強会に出席しよう。
何か月ぶりだろう、組織が変わってしまって参加者も違うけれどどんな雰囲気なのか見てみたい。家内の介護でいつまでお手伝いできるかと考えている。

9月30日(水)
T医院さんへ家内の薬をもらいに行く、そのため、はなぶさ苑さんに状態を確認する、
やはり食欲はなく、出された食事の3割くらいしか食べていないようである。また、夜もトイレの回数が多く寝ていない様子、昼寝てるのか聞くと寝ていないという。ますます体力がなくなりそうである。
T医院さんへ報告すると「、お薬変えましょう」と変えてくれたのだが果たしてどうなるやら・・・・・