家内の糖尿病は眼を蝕みはじめた。私の顔をもう二度と見る事は出来ないのだと思うと哀れでならない。

泣き笑い認知症奮戦記

家内が認知症になってから何年たったのだろう。 最初はトイレの電気を消し忘れが多くなったのが始まりであった。
平成27年彩の国いきがい大学熊谷学園専攻過程1期に入学し、1学期を終わるころ目が離せなくなり、途中退学したのでした。
令和2年8月に入り家内の認知症が急激に悪化し、驚くとともに私の負担が倍増した。
炊事、洗濯、掃除、買い物、食事の支度、すべて私の負担となった。
介護では、着替え、食事の補助、薬の管理、入浴の補助、トイレの補助等片時も目が離せない。
一番困ってるのは眼がよく見えず、歩行が困難であることだ。そして、 少し家内から離れると「お父さん、お父さん」と呼ぶのである。これには困った!
家にいるときはほとんど私のプライベートの時間はないに等しい。家内が正気の時、「お父さんに迷惑かけてごめんなさい」という言葉を聞くと胸が熱くなる。


症状
1.眼がほとんど見えない。
2.寝ているところから起き上がれない。
3.歩行ができない。
4.着替えができない。
5.トイレに使用法がわからない。
6.食欲がない。
7.食事は眼が見えないので食べさせないと食べない。
8.日にち、時間が全く分からない。
9、30度で寒いと言う。
10.トイレ、居間、台所、応接間の配置がわからない。
11.風呂も介護なしでは入るのは困難。
12.トイレが近く、夜中4回くらい起こされる。

10月1日(木)
時の流れは速いもので、10月になってしまった。家内の介護で何か月過ぎたのかまったく記憶がない。そして、元気だった頃の家内の顔も思い出せない。思い出すのは眼を開けない痛みにゆがんだ家内の顔なのだ。
昨日が家内の79歳の誕生日だというのさえ、長女のLineで知ったしまつ、情けない。
午後、はなぶさ苑さんより「食事をほとんどとらないので血糖値を下げる薬を飲ませるかどうかお聞きしたい」と電話があった。「家でも食事をとらぬ時な飲ませていませんのではなぶさ苑さんにお任せします」と答えた。
考えてみればもう1か月もほとんど食事をとっていない。このままでは衰弱していくのみである。次回の定期健診で聞いてみることにしよう。

10月2日(金)
夜中の12時に眼が覚めてパソコンでホームページの更新をしながら家内のことを考えていた。そして2時ころになって眠くなり布団に潜り込み爆睡、起きたら7時半であった。私のリズムまでおかしくなっているようだ。
結局、一日ぼ~として何もしないで終わった。

10月3日(土)
相変わら、家内は食事をほとんど食べないらしい。。
もう2か月も通常の2割くらいしか食べていないのだ。このままではいけないので次回田中医院さんと相談して入院も考えよう。
今日は長男が来た、話し相手がいるということは救われる。昨日は訪問者もなく誰とも話さなかった。こんな状態では、私も認知症になりそうだ!
一日が長いので、家内の寝室のカーペットを交換し大掃除をした。


10月4日(日)
長男の嫁さんと孫が我が家の掃除に来てくれた。ありがたいことだ!
家内の介護を始めてから掃除をする気力なく、我が家はクモの巣だらけである。とにかく私以外の人たちが我が家にいることは正直ホットする。。
何か月ぶりに居間を掃除してもらって、床の間など磨き上げてくれた。

こたつの下から家内がいつも使ってた「つまようじ」が十数本出てきた。ふっと元気だった頃の家内を思い出した。ショートステイでは相変わらず食欲が無いらしい。なぜなのだ!

10月5日(月)
今日も2時半に眼が覚めてしまった。台所へ行きコーヒーを入れて、パソコンに向かう。虚しい一日がはじまる。
はなぶさ苑さんに家内の薬の件で電話する。やはり夜はあまり寝ていない様子、もうそんなことが2ケ月も続いている。この先まだまだ続くとしたらいったいどうなってしまうのだろう。心配なり。

10月6日(火)
最近、食事を作る意欲がなくなってきた。家内が正常だったころは食事を「美味しい」と喜んで食べてくれるのを見るのがうれしく一生懸命作ったが、今はそんなこともない。
朝はいつものメニューで済ますが、

昼食はインスタントラーメンで過ごしてしまう。

夕食もつまみでウイスキーを飲みながらインスタントにしてしまう事が多くなってしまった。
やはり、料理する気力がないので、今日はお寿司を奮発したが飲むほどに酔うほどに食べられない。

8貫の握りのうち4貫食べておなか一杯「どうした爺!」と自ら励ますも、食えない。一番おいしかったのはお隣からいただいたキュウリで、これでは食が細くなってるのにますます悪循環になりそうである。
人間、多くの人たちと会話を楽しみながら食すのが最高の食事であると、今更ながら気づいた次第である。そして、「食べられなくなったら人間終わり」という諺を思い出した。

10月7日(水)
今日は2時30分に目が覚めてしまった。短い睡眠の日と長い睡眠の日が交互となってきた。精神的なものなのだろうか?
T医院へ薬をもらいに行く、相変わらず、「家内はショートステイで食欲なし、夜中も寝ていないらしいので体力の消耗が心配」とお話しして、就寝前の薬を追加していただいた。
「この際、入院させて体力の回復をさせたい」と申し入れたら、「入院させてはいけません。認知症が悪化します。」と一蹴されてしまった。
はなぶさ苑さんから家内が「紅茶と果物が好きらしいので苑の食事では出せないので買ってきてほしい」と連絡あり、薬を届けるときに差入れをした。
すると、ケアマネジャーさんが「純子さん笑うようになったのよ」と話してくださった。家では全く笑わず歪んだ顔ばかりしてるのに、背中に貼る認知症のパッチのおかげなのだろうか!

10月8日(木)
気温が低くなったので、家内の冬用のパジャマと下着を購入した。家内の衣装や下着の在庫がどのくらいあるのか聞いておけばよかったと今更ながら感じている。

10月9日(金)
家内が2週間のショートステイ最終日。昨夜、「ベッドから落ちて頭を切ったので病院へ連れて行ってください」と連絡あり、さっそく迎えに行き、宮原クリニックで2針縫ってもらった。糖尿がどうなってるか採決してもらったが、まったく違取れない。看護婦さんが何とか採決して戴いた。しかし、骨折しなくてよかったと安堵した。
あいかわらず、食欲はなく骨と皮ばかりになりつつある。
介護認定の再申請をケアマネージャーさんがしてくださった。結果は来月のはじめらしい。そして、この近所の特別養護老人ホームのリストを頂いたが入所待ちの方が30名~60名もいる。
どこの家庭も大変苦労してるのだとつくづく感じた次第である。

10月10日(土)
昨夜は、11時30分、トイレに起こされる。「夜中の11時30分だよ」と言うと「え~」と驚いている。「まだ、起きるのは早いから寝てくださいね!」と布団に入れる。
1時55分、トイレと言いつつ、パンツまで脱いで横になっている。トイレに連れて行くも出ず、2時20分「牛乳飲みたい」と布団から這い出している。「まだ夜中だから、朝ごはんではないよ」と水を飲ませて寝かせる。5時にトイレと言って起こされるも、出ず。5時30分「お父さんが起きたから」と言い布団から起き上がっている。「朝ごはんの手伝いはいいから6時半まで寝てください」と寝かせる。
家内の睡眠が意外ととれていることに気が付いた。まず、8時から11時20分までの3時間20分、2時20分から5時10分の2時間50分、合わせると6時間10分寝ていることになる。睡眠については心配いらないように思えてきた。問題は食欲であろ
今日は昨日縫ったところを見せに宮原クリニックに行く予定。
9時30分ころ長男夫婦が私が大変だろうと手伝いに来てくれた。これで宮原クリニックへ行くのに助かる。嫁さんは何か月も掃除してないところをきれいに磨き上げてくれた。ありがたいことだ!

10月11日(日)
相変わらず、夜中4回起こされる。(11時20分、2時05分、2時50分、4時12分)、その都度「ありがとう!」「悪いね!」と正気で言ってくれる。「いいんだよ!お父さんの役目だから!」「トイレだと思ったから起きてたから」と声をかける。
今日はディサービスセンター「ゆず」さんの日帰りディサービス、寝られるかどうかわからないが少し寝ることにしよう。
やはり、食欲はなく昼食を食べなかったらしい。家に帰って夕食後の薬の下剤を一粒追加する。すると何週間ぶりに「カチカチの便」を5回も排便する。
排便したのは良いのだが、その後、寝入りばな10時40分、11時、11時10分、11時45分、12時と1時間内に5回も「ウンチ」と言いトイレ、しかし、まったく排便なし、いやはや、この状態には参った!
「睡眠導入剤レパス飲むか?」と家内に聞く、「うん」と言うので何週間ぶりに飲ませる。これでウンチを気にせず寝るといいのだが・・・・・

10月12日(月)
物音がしたので家内の部屋を覗くと「トイレ」と言って座っている。睡眠導入剤を飲ませたため12時~3時50分まで寝たようである。やはりトイレに行っても出ない。情緒不安定になっているようだ。歩行に力が入らず半分眠ってるように感じた。
ディサービスに送り出して昼食後の薬を渡すのを忘れたので持参した。介護福祉士さんが「血圧が低いので入浴は中止いたします」と言われたので、了承した。家内の様子から皆さんと同じ椅子に座っての過ごし方はかなりきつそうに見えた。
午後4時07分に「ゆず」さんからお帰り。センターの運動会であったが、寝ていたいと不参加、帰ってきてぐったりしている。体力的に日帰りディサービスは家内の体力では難しいように思う。
就寝前のT医院さんからいただいた薬吐き出してしまった。さすがに私は堪忍袋の尾が切れてしまった・・・・・・
また反省!
歩く力も日に日に落ちている。このままでは寝たきり、眼が見えず、食欲なしで11月内には最悪になるだろう。その時私はどうしたらいいのだろう。
午後10時06分、「お父さん」言う声「なんだ!」と部屋に行ってみると、「寝るから」と布団から這い出している。「寝るなら布団で寝てください」と布団の中に戻す。
午後10時50分、「トイレ」と言いながらパンツを下ろしている。「ここはトイレでないからトイレに行こう」と立ち上がらせようとすると、力の入らぬ35Kgの体の重いこと、足腰の弱った私には支えられず二人で倒れてしまった。これからますます衰弱したら私には介護不可能になってしまうだろう。
午後11時32分、「お父さん」と呼ばれて行ってみるとズボンを脱いで布団の外で横たわっている。家内に「なぜズボンを脱いだの?」と聞いてもなぜズボンを脱いだのかわからぬらしい。またも布団に戻すのに悪戦苦闘する。
午後11時55分、布団の外に出てドンドン畳をたたいている。「寝なくてもいいから、布団の外に出ないでください」と言って寝かせる。

10月13日(火)
13日から19日まではなぶさ苑のショートステイ、しかし、こんな状態ではいつ返されても仕方がないと思う。その時の対処法を考えなけならない時に来ているかもしれない。
午前0時30分、またもや布団から出て寝ている。こう何回も呼ばれるともうあきれるしかない。「布団の中で寝てください!寝ないのであれば布団から出ないで下さい」と言い聞かせ寝かせる。
午前1時50分、「トイレ」と起こされる。寝ているのか起きているのか全く分からず、「まだ夜中だからもう少し寝よう。」と布団に入れる。
午前2時10分、掛布団の上に載って縦に寝ている。一晩にこんなに起こされるのは初めてである。これはどう見ても認知症のなせる業だろう。
午前2時54分、「水飲みたい」と起こされる。水飲ませるも一口飲んで「もういい」と言う。一晩中寝ていないようだ。
午前3時7分、水飲みたいと起きる。一口飲んで終わり。これは異常でしかない。
午前3時27分、水のみに起きる。いやはや・・・・・・
昨夜は一睡も出来ずに夜が明けてしまった。
はなぶさ苑さんが10時30分頃お迎えに来てくれた。迎えの車に乗せるのに大変、はなぶさ苑さんの方と二人係でやって乗せることが出来た。
「介護してくださる人たちに良いおばあさんと思われるようにしなさい」と言ったが、理解してくれただろうか?
昼食後、私は2時間半爆睡した。

10月14日(水)

(元気だった頃の家内)
昨夜は久しぶりに風呂に入り、ジョニーウオーカー水割りとイカ刺身でのんびり晩酌、睡魔が襲う。9時間爆睡。
T医院さんへ家内の薬をもらいに行き、はなぶさ苑さんへお届けする。
私のホームページ認知症奮戦記の家内の1週間の状況をプリントアウトして先生に差し上げた。「私は”everyday日曜”というホームページを持っていて、その中で家内の認知症奮戦記を公開しています」そのページのプリントですとお渡しした。早速、先生から見てみましょう、アドレスを教えてと言われたのでアドレスをお教えした。
これからホームページを見てアドバイスをしてくださるとのことありがたいことだ。
先生の一言一言が認知症の患者や家族を慰め勇気を与える。こんな素晴らしい先生が寄居町にいたのになぜ知らなかったのだろと悔しくてならない。
もっと早く、先生の存在を知っていたなら家内はこんなことにならなかったと思っている。残念でならない。

10月15日(木)
家内がはなぶさ苑のショートステイに行った13日は爆睡したが、14日になったら寝られないのだ!
物音がすると眼が覚めてしまう。長い間に身体に染みついてしまったようだ。
午前2時に起きだしパソコンに向かいながら「家内の眼が見えなくなりつつある」ことを軽んじてきたように感じていた。盲目になる恐怖は並大抵ではないはず、「俺はなんと浅はかだった!」と後悔している。
彩の国いきがい大学校友会連絡協議会の学習会で全盲の野上中学の先生をお呼びしたことがあった。その時の網膜剥離で全盲になる恐怖を話された。それを思い出し、家内に申し訳ないと思った。
今日は熊連協の友人が初めて我が家に来てくれる。ホームページを見て家内を心配してくれている。友人とは有り難いものだ。
家内がショートステイに行って私一人になると一日中誰とも話さない日があり、気がめいってしまう。今日は大いに話そう。

10月16日(金)
今日はSクリニックの先生にお会いして「特別養護老人ホーム清風苑」の状況をお聞きし、我が家の老々介護の限界についてもお話し、家内の入居申請をお願いしようと思います。
しかし、先生のあまりにもご多忙すぎてお会いすることかなわず、電話にてアドバイス戴いた。

10月17日(土)
朝、5時から何年振りに朝風呂に入り、サントリーモルツを飲み、朝食はお蕎麦にしました。
自分へのご褒美、家内も許してくれるだろ。今日一日のんびり過ごそう。
午前10時ころ、はなぶさ苑さんより電話あり家内が立ち上がって歩き出し転んでしまったと報告あり、骨折はしたない模様。
こんな状態が続くといつかは骨折しないとも限らない。寝たきりにならぬよう対策を講じないと・・・・・
10月18日(日)
昨日からのどに違和感を感じている。
ネットで調べてみたら「咽喉頭異常感症」ではないかと思われる。原因はストレスとのこと、早く治ってほしい。
やっと家内のタンスの整理が半分終わった。

10月19日(月)
今日は、家内が1週間ぶりにはなぶさ苑のショートステイから帰ってきた。私と我が家を忘れていなかったのは幸いである。
帰ってきて夕方までは正気であったが、夕方から言動がおかしくなってきた。自分で立てないのに夕飯のおかずを作ると言い出した。「夕ご飯はお父さんが作るから横になってなさい」と言った。
その後何回も布団から出ていた。頭の中であれもしなくては、これもしなくてはと思ってるのかもしれない。7時半になったら寝かせてほしいと言い、就寝前の薬を飲み就寝。
就寝前の薬を飲ませて寝かせるも、8時ころになるとまた起きだしてきた。仕方がないので「レパス」を飲ませて寝かした。
今日の夕ご飯もほとんど食べない
すかっり忘れていたが今日は私の誕生日83歳になった。

10月20日(火)
なんと2時まで一度も起きず寝たのである。今までこんなことは一度もなかった。ショートステイで疲れていたのだろう。
ところが2時になってトイレと言いながら布団から出ている。起こしてトイレに行こうとしたが半分寝てる状態、無理にトイレに歩かせたら廊下で崩れ落ち立ち上がれない。35Kgの力無き身体は100kgに感じて運べない。引きずりながら布団の上に戻す。
その後家内の部屋で様子見、そして「家内にとって一番良い方策は何だろうか?」と考え込んでしまった。自分の部屋に戻って40分後の2時40分またもや布団から出てズボンを脱いで布団の外にいる。83歳の老体にムチ打ち全力で布団の中に引きずり戻す。
こんな状態のため足がくがく。担当のケアマネジャーさんに無理を言って20、21、22日とサービスを使うことにした。
ありがたいことだが家内から逃げているような気がして後ろめたい。

10月21日(水)
昨夜は9時間の睡眠を取ることができて頭すっきり!
今日は長男が手伝いに来て、デイサービスセンターゆずさんからはなぶさ苑さんへ移動。
ゆずさんから家内がお薬を呑み込めないので細かくしてとろみをつけて飲み込ませたと報告がありました。現状かなり衰弱してるので入院もご検討されてはとアドバイス戴きました。
明日かかりつけ医へ行き先生と面談して入院先の紹介状を買いいただく予定。
しかし、インシュリンを注射するようになるとショートステイでは受け入れが不可能になるらしいので注意が必要とのことであった。

10月22日(木)
かかりつけ医へお母さんの現状報告をし、3か月間健康時の5分のⅰも食べてないのでかなり体力の低下が甚だしく、37Kgあった体重も31Kgとなっています。」と報告し、「できれば入院して体力の回復をさせてあげたいのです。」
「先生、入院できる病院をご紹介いただけないでしょうか?」とお願いしたのですが、「病院紹介は致しません、病院はそちらで探してください」と一蹴されてしまった。、患者が窮地に落ちったときは逃げてしまう。こんな町医者があまりにも多い。高齢になったらかかりつけ医を再検討する必要がある。
そしてある病院のお問い合わせ欄に家内の現状を書きお伺いをしたところ、1時間内にお電話いただき驚くとともにこんな病院も存在するのだとつくづく思った次第である。
ケアマネージャーさんと相談室担当者と24日連絡して話し合いを持っちただくことになった。

10月23日(金)
朝4時起床する。目まぐるしい日々の連続、疲れた。
ところが、起き上がってみたら、腰に違和感一寸曲げると飛び上がるほどの痛み。3日前家内を廊下から寝室まで運んだ影響が出たのだろうか!これには困った。後ろだからシップも張れない、何とか悪戦苦闘してシップを張る。今日は何もせずのんびりしよう!
しかし、庭の草が伸びてきて、来週あたり草刈りをしないとお化け屋敷のようになってしまう。

次から次へと問題が出てくる。休ませてくれそうもない。
夕方になって、家内の女学校時代の友達Kさんから電話いただいた。家内の現状をお話しして、いろいろ励ましを頂いた。家内も素晴らしい友たちを持ってたんだと感動している。

10月24日(土)
相変わらず家内は食欲がなく二口三口口にすると「もういい」と食べないとのこと、ケアマネさんから自宅で飲んでいた「メイバランス」を差入れしてくださいませんか、と電話あり、購入してはなぶさ苑さんへ持参したした。
午後3時半ころはなぶさ苑さんより電話あり、「純子さんの状態がよくないので慈恵医大付属慈恵病院熊谷が土曜日やってるので診察に行きますから来てください」と連絡ある。

とりあえず、保険証とお薬手帳をもって病院へ向かう。受付ではなぶさ苑さんと合流、受付を済ませ診察、いろいろ検査し肺炎を起こしていることが判明、入院となった。手続きや病院の説明が終わったのが7時45分頃、さすがに疲れ切ってしまった。
はなぶさ苑さんの迅速な判断に感謝、介護福祉士のKさんに感謝です。

10月25日(日)
長男が朝一番に来ると電話あり。今後の打ち合わせをしよう。
昨日の家内の様子では体に付けたデータ管理のセンサーをとってしまうでしょう。先生の言われたベットへの拘束することを長男に話了解してもらった。かわいそうだが致し方ない。

10月26日(月)
今日はいろいろ忙しい日になりそうである。まず、あねとす病院の相談室のKさんにお会いして家内の現状報告、そして慈恵医大付属熊谷慈恵病院への診療でお世話になったはなぶさ苑さんのKさんへお礼で訪問、最後は慈恵病院へ入院保障書を持参した。
何分にも新型コロナの関係で面会ができないので、担当医の大成先生から電話にて報告いただくようお願いした。

10月27日(火)
慌ただしい日々の連続で疲れた。今朝、ポストまで新聞を取りに行き屋敷内を見て回った。何か月ぶりだろうか?自分の家さえ眺める余裕がなかったことに気が付いた。
男って一人になるとだらしないものである。

10月28日(水)
田中医院さんへ家内の近況報告。
そんな状況では「埼玉慈恵病院からあねとす病院へ転院するようになりますね」と言われた。
「現在あねとす病院さんと交渉中です」と報告したがまだ確定していないのでちょっと不安。
入院した場合は薬の処方は入院先の病院になるのでお出しできませんと言われて、薬は出してもらえなかった。

10月29日(木)
埼玉慈恵病院から電話があり内科の病棟が開いたので5階501号室へ移行しますと連絡があった。家内の状態は38度5分の熱があり抗生物質を投与している。鼻にチューブを入れているがとってしまうのでベッドに拘束してると報告あり。お母さんには申し訳ないが仕方ないだろう。
主治医のO先生と連絡を取りたいのでお手配願いますとお願いした。
今まで歩いていなかったので歩行に違和感を感じていた。一段落したので散歩再開し、途中でIさんに会い話が弾み「この間寄居警察で100歳のおじいちゃんが運転免許を更新した」と話し出した。「そうなると私はまだ17年もある」と話し大笑いになった。歩けば友達に当たるである。

10月30日(金)
家内が入院して1週間が過ぎた。その間あたふたとしていたように思うが結果何もしていない。
埼玉慈恵病院のO先生と2時にお会いして家内の様子を聞いた。入院時肺炎数値が29であった。抗生物質を投与するも数値が下がらず、昨日から抗生物質を変えた。そして現在は15、ただ熱が下がらず38度以下に落ちない。
新抗生物質の状況により良い方向へ向かうかどうか検証中。退院しても施設は無理であろうとの話であねとす病院と交渉中なので先生から紹介状を書いていただきたいとお願いし。ご了承いただいた。
現状では退院の見通しは全く判らないと言われた。
ベットに横たわる家内に声をかけるとわかったらしく大きな声を出して体をゆすっていた。そんな家内を見ていると涙が出てきた。「お母さんごめんな!」

10月31日(土)
10月も今日で終わり。一人暮らしで不規則な食事を続けている。食事を作る気力がなくなってレトルトのカレーが多くなった。それでも生きている。