家内の糖尿病は眼を蝕みはじめた。私の顔をもう二度と見る事は出来ないのだと思うと哀れでならない。

泣き笑い認知症奮戦記

家内が認知症になってから何年たったのだろう。 最初はトイレの電気を消し忘れが多くなったのが始まりであった。
平成27年彩の国いきがい大学熊谷学園専攻過程1期に入学し、1学期を終わるころ目が離せなくなり、途中退学したのでした。
令和2年8月に入り家内の認知症が急激に悪化し、驚くとともに私の負担が倍増した。
介護では、着替え、食事の補助、薬の管理、入浴の補助、トイレの補助等片時も目が離せない。
一番困ってるのは眼がよく見えず、歩行が困難であることだ。そして、 少し家内から離れると「お父さん、お父さん」と呼ぶのである。これには困った!
家にいるときはほとんど私のプライベートの時間はないに等しい。家内が正気の時、「お父さんに迷惑かけてごめんなさい」という言葉を聞くと胸が熱くなる。
はなぶさ苑のショートステイにお願いするようになって私の負担は軽減されたが、施設の皆さんにはご迷惑をかけている。
10月24日に家内の状態が悪化し、埼玉慈恵病院へ入院、肺炎の悪化であった。
その際、診療に付き添っていただいたはなぶさ苑さんの介護福祉士kさんの仕事ぶりには頭が下がる。感謝、感謝である。。
11月に入り家内の状態が施設で取り扱いできないくらい悪化しつつある。


症状
1.起き上がることも歩くこともまったくできない
2.食欲が全くない。
3.コミニケーションができない。
4.眼が見えなくなりつつある。
5.怒りっぽい。
6.昼と夜がひっくり返っている。
7.常にうつらうつらしてる。
8.介護施設へお願いすることが難しくなった。


11月1日(日)
家内の認知症が悪化して3か月が過ぎた。日に日に症状が悪化してるように思う。
10月24日に埼玉慈恵病院に緊急入院したのだが、肺炎を起こしていて38度の熱が下がらないらしい、新型コロナウイルス感染症の関係で一切面会ができない。家内の症状さえ知る由もないのである。これには困った。病院として何らかの方法を考えていただけたらと思う。

11月2日(月)
毎日やることもなく、家内の部屋を片付けたいのだが、元気になって戻ってくるような気がしてそのままにしている。残っているもの一つ一つに家内の記憶があり、片づけられないのが本音である。
今日は何年ぶりかでパチンコでも行くか!と思ったが新型コロナウイルス感染症がわが町も衰えていないのでやめた。

11月3日(火)
歩行に違和感があって散歩を初めて一週間が過ぎた。大分スムースに歩行ができるようになってきた。歩くことで血糖値も下がり血圧も安定してくる、よい方へよい方へと変わるから不思議なり。歩くことはやぶ医者の診療よりよほどましである。。

11月4日(水)
家内の状況が新型コロナ騒動で面会謝絶のため全く分からない。どうもストレスたまってならない。

11月5(木)
ケアマネージャーOさんから埼玉慈恵病院へ行く用事があり家内の様子を聞けたと電話があった。
入院時29あった肺炎数値が抗生物質のおかげで3.1まで下がった。しかし健康人は0.3が基準だからまだまだ高いとのこと、酸素吸入は継続してるとのことであった。熱が下がったかどうかは聞けなかった。
退院の見通しは現時点ではわからないとのことであった。しかし、家内の様子が聞けたのでほっとした。

11月6日(金)
おはよう!お母さん頑張ってください。お父さんもおきたから・・・・
今日は隣のSNさんがお母さんのお見舞いの来てくださったよ!
そして、隣組合の皆さんにお母さんの実情を連絡してくださったようです。その為にも頑張ってくださいね!

11月7日(土)
今朝は2時に目が覚めてしまった。寝よう寝ようと努力したが寝られず起きてしまった。
午後、散歩から帰ってポストに行ってみると大里広域市町村圏組合から、再申請した家内の介護認定決定が届いていた。要介護5であった。

果たして特養で流動食の家内を受け入れてくれるところがあるのだろうか?明日でも調べてみよう。

11月8日(日)
何もする気力なし、昨日、彩の国いきがい大学熊連協の25期Mさんから激励のメールいただいた。落ち込んだ時の親しい方のメールは心休まる。よき友に感謝である。

11月9日(月)
我が家は長男や長女とLINEにて話し合っている。連絡事項を送っておけば空いた時間に見ることができて非常に便利なのだ。
長女からお母さんの元気だった頃の逸話が送られてきた。過去を振り返ってはいけないと自分に言い聞かせてきたが思い出してしまう。

11月10日(火)
昨日行く予定であったが、気分が乗らず、今日にしてしまった。かかりつけ医の定期健診、今年に入って糖尿病の検査をしていないのでやってもらうことにした。家内は入院中なのでパス。生活のリズムや食事のリズムが家内の介護で不規則になっていたので、きっと数値は最悪だろう。
私も糖尿病と高血圧症なので十分気を付けないと家内と同じ道を歩むことになる。食生活で家内と違うところは飴とおやつを食べないことくらいだろう。一番恐ろしいのは眼が見えなくなることであり、一番困ることは田舎暮らしで車の運転免許証を失ってしまう事なのだ。田舎では買い物や通院には車の運転なくしては不可能に近い。
午後、埼玉慈恵病院から電話あり、家内の熱が平熱になり、あねとす病院への転院の準備を始めたと報告あり、日時が決定したらご連絡しますとのことであった。

明日から要介護5でも入居できる特養を探そうと思ってる。

11月11日(水)
今日は長女の誕生日、介護福祉士で頑張ってるが身体だけは大切にしてほしい。

午後、ふじさわ苑に家内の入所申し込みにお邪魔した。やはり入所待機者が27名おられるとのことであったが、順番ではなく緊急度の高い人から入所していただいているとのことだった。
家内の状況をお話しし、埼玉慈恵病院からあねとす病院へ転院してくることをお話しした。ふじさわ苑に入所できれば家内も一安心なのだが・・・・・・。

11月12日(木)
家内の安住の場所を探す日々、市役所にて認定調査票の写しをもらい、はなぶさ苑にてサービス提供票をもらい、ふじさわ苑に提出する入所申し込み書ができた。午後ふじさわ苑に持参した。
埼玉慈恵病院よりあねとす病院への転院手続きを始めますと連絡あり、転院も近そうだ。

11月13日(金)
今日は全く予定なし、ゆっくりしよう。
埼玉慈恵病院より電話があり、「あねとす病院への転院が決まりましたので、あねとす病院の面談を受けてください」とのこと、あねとす病院の相談室Kさんへ電話して16日11時から面談させていただくことにした。これで一安心なり。

11月14日(土)
毎日、6000歩歩いているのだが、依然として足に踏ん張りがきかない。家内の糖尿病合併症の進行の速さに驚くとともに、いつの日か糖尿病の私を襲うであろ合併症の可能性を考え、今まで実践し効果をあげてきた散歩を始めたのである。
いつまでも自分のことを自分でできるようにして、人のお世話にならぬようにと思っている。一人暮らしの生活は不規則になるが、頑張るしかないのだと自分に言い聞かせている。

11月15日(日)
予定なし!
冬草が生い茂ったので屋敷内の草刈りでもしようかと考えている。「きれいになったね!」とほめてくれる家内もいないのでいまいち気が進まぬ。長男が様子を見に来てくれた。話す相手がいるということはありがたい。

11月16日(月)
午前11時にあねとす病院と家内の転院についての面談。これで、家内が病気の時はあねとす病院、回復したら特養ふじさわ苑という安住の地が決まりそうである。

11月17日(火)
今日も誰とも話さず一人で飯を食い、一日が終わりそうである。
新型コロナウイルスの感染予防で病院の面会が出来ず家内の様子が分からないのが一番つらい。

11月18日(水)
朝から何か月ぶりかで草刈り。1時間したら足が悲鳴をあげて、やむなくリタイヤしてしまった。年相応の体なのだとあきらめた。
今日も誰とも話さない一日になりそうだ!

11月19日(木)
何かしていないと気が滅入ってしまうので、天気が良さそうなので今日も草刈りでもするか!
午前、埼玉慈恵病院の5階のナースステーションのYさんから、レッグカバーとアームカバーを届けてほしいと電話があった。
八木橋に行き購入したが、今はアームカバーは販売していないのでレッグカバーをアームに使用しているとのことであった。その為レッグカバーを2セット購入し埼玉慈恵病院へ届けた。面会できるかなと思ったが実現しなかった。

11月20日(金)
朝起きたら東の空が真赤にに染まっていた。

昔、お袋から「朝焼けは雨が降る」と言われていたが、果たして降るだろうか?
埼玉慈恵病院から電話があり11月30日(月)午前10時00分にあねとす病院へ転院しますと連絡があった。着替え一式を転院前に届けなければならない。36日間の入院であったが、どんな状態なのかだろうか?
おふくろも姉の連合いもあねとす病院で人生を終えたのだが家内はそうなってほしくない。
元気になって特養ふじさわ苑で長生きしてほしいと願っている。

11月21日(土)
本日予定なし、草刈りでもしようか!
先日運動不足なのでフィッテネスバイクを購入した。散歩を始めたのだが足のフクラハギが悲鳴をあげて辛く、家庭内で可能なフィットネスバイクにしたのである。
三日坊主にならぬよう頑張らなければ家内に申し訳ない

11月22日(日)
私も糖尿病のため、家内と同じように目が見えなくなる恐れがある。そんな状態にならぬよう健康マシーンを購入した。

毎日2時間くらい家の中でサイクリングである。結果はどうなるかわからぬがやらないよりやった方が良いと思うのだが・・・・、今、毎日6,000歩歩いているが念には念をという気持ちである。目が見えなくなったらと思うだけで恐怖を感じる。

11月23日(月)
ここ一週間新型コロナウイルスの第3波が熊谷市、深谷市へと広がりつつあるので十分注意しよう。
糖尿病を患ってる私に感染したらひとたまりもないと思ってる。やりたいこともいっぱいあるし、まだまだ生きたい。

11月24日(火)
新型コロナウイルスの第3波感染がわが町を襲っている。以前は感染者20人くらいで推移していたが、今週に入り60人の大台を超え、毎日2~3人の感染者が出ている。
眼に見えないウイルス十分注意しよう。
あねとす病院はLINEのVIDEO電話で患者の様子が聞けるという。これは新型コロナウイルスの感染予防で面会謝絶の家族にとって非常にありがたいサービスだと思う。早速登録させていただいた。

11月25日(水)
相変らず、眠りが浅い。ウイスキーをチビチビ飲んで早く寝てしまうのも一つの原因なのだろうか?
しかし、5時間は寝ているから良しとしよう。
午後になって、埼玉慈恵病院から電話あり、O先生が家内の病状を話したいので27日午後2時に来てほしいとの連絡あり、了承した。その際、転院時の着替えを持参することにした。

11月26日(木)
埼玉りそな銀行の定期預金を解約して普通預金通帳に付け替える作業をしようと思う。足腰が弱くなり熊谷支店まで出向くのが難しくなってきたためである。高齢になり医療費や介護費用に必要となるであろうと予測しての準備である。

11月27日(金)
午後2時、埼玉慈恵病院へ出向き、家内の状態を大成先生から聞いた。
「状況としてはあまりよくはありません。食欲がないので点滴でつないでいますが、そのためむくみが生じ肺に水がたまる現象が起きています。また、下血してる可能性が便から見て取れます。胃潰瘍なら押して痛みを感じますが痛みを感じないので癌の可能性があります。」とのことであった。
入院時より、会話ができるようになった。「お父さんが来たよ!」と言ったら、眼を開いて繁々と見て、「いろいろいじめられたのでパットしない」という答えが返ってきた。「ハワイもラスベガスも俺と一緒に行っただろう?」と言うと「行った!」という答えが返ってきた。コミュニケーションが取れるようになっただけありがたい。

11月28日(土)
昨夜は家内の様子が分かり安心したのか、7時間半も熟睡してしまった。今日はのんびりしよう。
長男と長女にLINEで家内の状況を報告した。

11月29日(日)
昨夜、7時間30分も寝てしまったせいか、今朝は2時30分に目が覚め、トイレに行って、まだ早い寝よう寝ようと努力するも寝られず起きてしまった。

11月30日(月)
埼玉慈恵病院入院中の家内が今日退院する。寝たきりになってしまったので自宅介護は83歳の私では不可能なのであねとす病院への転院となった。病気が完治すればふじさわ苑という特養への移行となっている。寂しいが現状では致し方がない。
予定時間より早く病院に到着し、家内と話をしたが通常の会話がスムースにできて感動した。長男が来てることを話すと「仕事が忙しいのに!」といったが内心では喜んでいるようであった。
午前10時埼玉慈恵病院の退院手続きが終わり出発、あねとす病院へ到着、またもや、家内の検査を行い、入院手続きが終わった。検査結果は芳しくない。肺に水が溜まって半分しか機能してないとのこと、お正月が迎えられるかどうかという状態と告げられた。