開設:2005.3.22.                                                  

平成23年8月

■8月31日(水曜日)
椅子にかじりついてやめなかった管さんがついに辞職した。そして新総理大臣に野田佳彦氏が選出された。今、東日本は未曾有の災害に見舞われ、多くの地域は瓦礫の山であり、原発事故避難区域では住民は家を追われ流離の日々を過ごしている。そんな日本をどう立て直し、国際社会の中での地位を向上させるか、災害復興、外交、財政、経済、雇用、福祉、お手並み拝見である。
台風が関東地方に近づいている。その前に除草を終わらせようと農作業。秋用のモロッコいんげんがすこぶる元気に成長している。

野菜作りは楽しい、種まきから収穫まで、やさしく面倒を見れば見るほど期待にこたえてくれる。今の人間より野菜の方がよっぽど素直なり。

■8月30日(火曜日)
昨日は右足が攣ってしまって、途中で中止する羽目になってしまったので今日も草刈り継続なり。

広い屋敷内がこんな雑草が繁茂していて、蛇や蛙やバッタが我が物顔に走り回ってる。大雨が降ると裏の竹藪に、荒川が増水するのを察知して沢ガニが何匹も這い上がってくる。そんな自然100%の我が屋敷なのである。この庭を見ながら冷たいビール一杯なんて最高の至福の時なり!

■8月28日(月曜日)
早朝より、 地域の排水路清掃ボランティアに参加する。
地域の隣組は20世帯で昔から気心のわかった人達で冗談を言いながらの作業で楽しい。ハチの巣があったり、蛇が出たりの大騒ぎ。藪に囲まれた排水路があっという間にきれいになってしまった。
昔、村であったころは道路や草刈りの勤労奉仕等で地域の環境保全をしていた。もちろん、村役場には建設課や水道課なんてものはなく、村長と収入役と数人の職員がいただけであった。そんな時代を懐かしく思い出してしまった。日本列島改造論で日本は高度成長し、あらゆるものが便利になったが、果たして幸せだったのだろうか?
そのおかげで大きな借金を背負ってしまったのだから・・・・・・・・・・

■8月26日(日曜日)
朝晩、だいぶしのぎ易くなってきた。四季の移り変わりはこの年になると非常にしんどい。わずかな気温の変化で体調が狂ってしまうから不思議なり。
突然、家内が「お父さん前の電線に何だかわからない鳥が並んで騒いでいるわよ」とパソコンの部屋に飛び込んできた。早速カメラを持って「パシャり」、鳥もいろんな奴がいてさまざまで、右を向いてるやついもいれば、左を向いてるやつもいる。この時期から秋にかけて、ムクドリの大群が我が家を訪問してくる。日本とは素晴らしい国なり。

■8月24日(水曜)
熊谷スポーツ文化公園のボランティアの日、熊連協の仲間98人が参加した。 しかし、熊谷スポーツ文化公園側の事務所の対応があまりにも怠慢で、開始時間になっても、何の準備も出来ていない状態であった。作業開始を10分待つよう大きな声でお願いするが、会員の中から不満が出て対応に難儀した。
熊谷スポーツ文化公園側のボランティアについての考え方がわれわれの考え方と若干違っているのかもしれない。ボランティアをやって頂いてるという考え方とボランティアをやらせているという考え方では月とすっぽんである。 ボランティアは任意の奉仕作業なのだからお互いに笑顔でやりたいものである。

■8月23日(火曜日)
久しぶりに、熊谷32期校友会のPC&DCClubの定例学習会へ出席した。 熊連協の事務局を引き受けたのと体調不良とが重なって、欠席していた。クラブが出来て在学中から数えると5年目に入ったが、まだまだ会員の学習意欲が高く毎回27人前後が集まってくる。仲間のKさんも9月は検査入院で学習会欠席とのこと。誰も何所かしら悪くなってきている。寂しい限りなり!

■8月22日(月曜日
毎年恒例の我が町の健康診断が行われて、いつもなら、家内共々お願いしているが、今回は爺のみ検診を受けることになった。

家内も消化器系が悪く、体重が38Kg位しかなく、すぐにスタミナ切れが生じてしまう始末で今回は中止したのである。午前中の検診の為、朝食が11時過ぎまで取れず、食べる事が楽しみな爺にとってはつらい、我が町も財政状況が悪化して、健康診断も簡略化されてしまった。日本が借金だらけになったのは国民が多くの事を地方自治体や国へ依存しすぎることが原因であろう。
昔、太平洋戦争のころ"欲しがりません勝までは!"というスローガンが軍部から宣伝されたが、今は"欲しがりません、日本の借金0になるまでは!" なり。

■8月21日(日曜日)
一昨日までの38℃の気温はどこへ行ってしまったのだろう?
25℃位で快適な温度なのだが、どうも落ち着かない。人間って何とわがままな動物なのであろう。

毎月第2・第4水曜日に行っているボランティアも多少楽になって助かる。熊谷学園の校友会が熊谷スポーツ文化公園のボランティアを始めて8年にもなる。継続は素晴らしいことだ。常時80人~100人ご協力を頂き感謝に堪えない。
熊連協の事務局長は結構忙しいが、これもまた楽しい!

■8月19日(金曜日)
去年、彩の国いきがい大学東松山学園専科2期の健康づくりクラスのクラス会が役員の努力で開催され、森林公園まで出かけた。同じ弁当を食べた仲間、懐かしく感激!

爺は22年10月27日の交通事故の鎖骨骨折と半身打撲で、4カ月も休んでしまったのだが、卒業させていただき、仲間に入れて戴いたのだ。
楽しき友との酒は旨いし、肴も旨い。酔うほどに話が弾み、終わる時間さえ誰もが気にしない。これもまた楽しき哉!

■8月18日(木曜日)
早朝、早く目が覚めてしまったので、屋敷内を一回りして見た。

すると、春先に種をまいたヒマワリが大きな花を2輪付けていた。数年前から、種を取って引き継いできた品種で、当初は40Cmくらいの花をつけていたが、今は小ぶりになってしまった。肥料不足なのか?子孫を取り続けると変化するのか?爺には判らぬ!
しかし、何と言っても"ヒマワリ"は夏の風物詩としてはほのぼのとするから不思議なものだ!
蝉、朝顔、ヒマワリ、夏はいいものだ!

■8月17日(水曜日)
連日の猛暑、36℃が連日続くと何をするのも大変なり。さすがは熊谷の近郊だ!

しかし、今日は朝から草刈りをしようと決めて決行する。
屋敷内が2,600㎡もあるので夏になると草との戦争である。草刈り機を1台お釈迦にしてしまったくらいだからいやになるほどなのだ!今使用してるのは4サイクルエンジンのもの2サイクルより力があって焼きつきにくいので大変重宝している。
爺も一日、一作業をモットーにして動き回ることを第一にしている。あれもやらなければ、これもやらなければと家内から催促され、いやはや参っている。

■8月16日(火曜日)
今日は週2回の買い物の日。我が家は老夫婦二人になってから、3日サイクルで買い物をする習慣が定着している。
      
我が町に も大型ショッピングセンターが進出して、今まであった商店が一つ閉めまた一つ閉め、ついに食品を売る個人店が無くなってしまった。ついに、一人暮らしの高齢者で車の運転が出来ない買い物難民が出て、こまっているらしい。
進出してきたショッピングセンターは日用雑貨と食品でその長さは4,500㎡にもなるのだから、雨の降る日の散歩コースに最適なり。

■8月15日(月曜日)
今日は盆の施餓鬼で満福寺へ塔婆を受け取りに行く。
      
昔の寺は地域の中心にあって、地域の指導的立場にあったが、今はその面影はなく、葬式寺としての役目のみとなってしまった。
ゆりかごから墓場までという理論を初めて発したのは弘法大師であったが、その遺言を受けついだ真言宗の寺は皆無だろう。
少子高齢化の現代、寺としての新たな方向性を見いださなければ、日本の宗教は衰退してしまうだろう。

■8月14日(日曜日)
去年、10月28日に爺は交差点でダンプカーに突っ込まれて、鎖骨骨折をし半身打撲を負ってしまった。去年12月に熊谷検察庁に呼び出されて、事故の聴取を受けたが10カ月たっても何の音沙汰もない。
事故が多くて手が回らないのか?、無罪放免なのか?聞いて見たいものである。

しかし、こちらから裁判所に問い合わせるのもおかしな話なのでやめている。

■8月13日(土曜日)
  今日は迎え盆

親父が亡くなって14年、お袋が亡くなって7年、時の流れは速いものだ。
仏さんの管理は家内に任せていて、爺は一年に2回くらいしかお線香を上げる位だから、仏もあきれ返っているかもしれない。
母が亡くなった時、仏壇の木の板に描かれた過去帳の線香の汚れを洗ってもらって判明したのだが、我が家が今の所に住みついたのが元禄時代の1630年頃と分かって驚いた。
ご先祖様を大事にしなくては・・・・・・・・・・・

■8月11日(木曜日)
彩の国いきがい大学熊谷学園校友会連絡協議会で毎年実施している「学習会」を熊谷市立文化会館1階大ホールを借り行った。
今年は妻沼聖天様の平成の改修工事が終了し、素晴らしい本殿が姿を現したのを記念して、妻沼聖天山歓喜院 阿うんの会の阿部修治先生を迎えての講演を企画し、 247名もの校友会の仲間たちが参加してくれた。

講演終了後の質疑応答も時間を忘れての熱心さで、先生もお疲れでありながらお答えいただき、事務局長としてはうれしい限りなり。