開設:2005.3.22.                                                 

(朝焼けの空、”朝焼けで今日は雨になるよ”と言ったお袋の言葉思い出している。クリックで拡大)

令和4年12月


■12月31日(土曜日)晴れ、血中酸素98.脈拍68.血圧133~70.体温36.0C

(お供え物、クリックで拡大)
爺はあと何年生きられるかは神のみぞ知るである。地球に生まれて85年家族を支えるために這いずり回って納得のいかない仕事を続けてきたが、退職して自分の好きなことが出来たような気がする。今思うと俺の人生は何だったのだろう。爺の未熟さのため家族の考えを汲み取ってあげられなかったことを反省している。こんな家族に生まれながら真直ぐに育ってくれた子供たちと孫たちにありがとうと言いたい。
元禄時代からこの地に住み着いた我が家は家に中に台所神様、トイレ神様、井戸神様、氏神様がいると教えられてきた。そして正月はそれぞれにお供えをあげて祝ってきたが爺の時代になってそれをおろそかにしてしまった。それ故幸せが訪れないのだろうと思っている。来年のためにお供えをあげた。どうか良い年になりますように!

■12月30日(土曜日)晴れ、血中酸素98.脈拍68.血圧133~70.体温36.0C

(戴いた野菜、クリックで拡大)
残すところ2022年は後2日となってしまった一人暮らしを初めて2年が経過したことになる。家の中は亡き家内の痕跡があちらこちらにありそのたびに元気だったころを思い出してしまう。来年はあまり過去を振り返らず前向きに生きるようにしようと考えているが、果たして出来るだろうか?
昨日、修さんから正月用の野菜を頂いた。みずみずしいネギ、大根、ニンジン、白菜、本当にありがたい。

(今日の夕食、クリックで拡大)
いつも畑の草退治に耕してもらっているのに申し訳なくお礼を言っていただくことにした。高齢になると人の温情が心にしみる。
8時頃長男が来た家族はみんな忙しくて来られないとの事、落ち葉を集めて燃やしてくれた。

■12月29日(木曜日)晴れ、血中酸素98.脈拍69.血圧129~73.体温36.0C

(ベイシア、クリックで拡大)
一人暮らしでお客様も来ないので、正月食品は買わないがチョロギと酢だこは食べたいのでベイシアへ買い出しに行って来た。

(チョロギ、クリックで拡大)
年末だというのにお客様はまばら、正月も休まないのだから無理して買わない習慣がついてしまったようである。 チョロギへのこだわりは学童の頃、机を同じにしていた隣のKS君(去年糖尿病で亡くなってしまった)がいつも真っ赤なチョロギを弁当に入れて来てうまそうに食べていたのである。それが頭の中残りトラウマになっていた。正月はチョロギに限る。

■12月28日(水曜日)晴れ、血中酸素97.脈拍61.血圧132~71.体温36.3C

(寒々としたテラス、クリックで拡大)
相変らず寒い、冬だから仕方ないが老齢には堪える。毎日同じことの凝り返し、家内がいる頃は話す相手がいたが、今は話す相手もいない。静寂の中目が覚め、静寂の中寝る。「私の方が早く行っちゃうからお父さん料理習ってね!」と言ってた亡き家内を思い出している。
今日の夕食は久しぶりにギョウザにした。PAL生協さんから購入したもので非常においしい、手をかけるのがおっくなのだがギョウザは手を惜しまない。

■12月27日(火曜日)晴れ、血中酸素98.脈拍66.血圧133~73.体温36.4C

(6時52分のテラス、クリックで拡大)
朝6時52分だがまだ太陽は出ていない。冬至が済んで1日1日日が長くなるというのに・・・・・・、人間なんてわがままな生き物で暑ければ文句をいうし寒ければ文句をいう。そんな端っこに爺も入っている。相変わらずの快晴、山の方では深雪で困ってるらしい。雪下ろしで何人の方が亡くなっているという過疎化で高齢者ばかりだからだろう。

■12月26日(月曜日)晴れ、血中酸素98.脈拍65.血圧134~73.体温36.1C

(今日の夕食、クリックで拡大)
泣いても笑っても2022年は後6日で終わる。爺にとって年号や日付なんて関係がない。泣くこともなく笑うこともなく、誰とも話さぬ日がある一人暮らし。爺の人生は2020年12月8日午後8時59分で終わったのだと思っている。「亡くなった家内の分まで長生きします。」と言うがそんなのは言葉の綾に過ぎない。日が昇れば起き、日が沈めば寝、時に流されながら生きている。
最近、鶏肉に凝っている。シンプルに塩コショウのみの味付けで焼くのである。これがすこぶる美味しい、いつかは飽きるだろうが美味しい内は沢山食べようと思っている。

■12月25日(日曜日)晴れ、血中酸素98.脈拍67.血圧134~73.体温36.1C

(一面真白、クリックで拡大)
今朝もかなりの寒さ、全身が怠く起きるのもままならない。しかし、寝てるわけにもいかず6時32分に布団から抜け出す、朝食後、郵便物を取りにポストまで行ったのだが、一面真白になっていた。寒い訳である。外の水道はがちがちに凍っていて全く水が出ない。これ以上寒くなったら水道管の破裂が心配になる。

■12月24日(土曜日)晴れ、血中酸素98.脈拍65.血圧136~75.体温36.1C

(朝顔の種、クリックで拡大)
朝6時に起きていつもの健康チェックに応接間に入ったらなんと室温が3℃、パソコンルームに至っては2℃、寒さこの上ない状態、ストーブ全開の朝であった。今日はクリスマスイヴ、若い独身のころは何かいいことがあるような気がして夜の銀座へ繰り出したものだが(結果的に奇跡は起らなかった)、

(今日の夕食、クリックで拡大)
一人暮らしの高齢者、静かにチキンでも食べながらチビチビウイスキーでも飲もうと思っている。
廊下の乱雑な物置を整理していたらいつ取ったのかわからない朝顔の種が出てきた。家内の文字で「朝顔の種、春になったら播く」と書いた紙が出てきた懐かしく家内が亡くなった事を一瞬忘れてしまい、その後ヤルセナイ気持ちになっていた。

■12月23日(金曜日)晴れ、血中酸素97.脈拍67.血圧126~69.体温36.2C
低気圧が通過して西高東低の冬型になった。北陸地方や東北地方は猛吹雪ななるに違いない。関東地方は乾燥して北風が吹き寒波が襲来するだろう。爺も風邪などひかぬよう注意しよう。

(ギザギザの様子、クリックで拡大)
朝の健康チェックをしながら、長年、眼の中に稲妻のような光の波が出て視野が狭くなり立っていられなくなる現象(閃輝暗点)に悩まされてきたが、ここ1年そのような症状は出ていないことに気づいた。網膜剥離の手術のお陰なのだろうか?原因は判らないが良い状況にあるように感じている。

■12月22日(木曜日)雨のち曇り、血中酸素97.脈拍67.血圧135~77.体温36.4C

(ゆず)
今朝は雨でありながら寒さが和らいで高齢者にはありがたい。しかし、4時半に目が覚めたのだが、全身が怠いので6時半まで布団の中にいた。日替わり体調で困る。今日は冬至、明日からは昼間の時間が何秒かづつ長くなってくる。みんなが元気なころはお風呂に一杯柚子を入れて入ったものだが今は一人暮らしなのでそんな事をする気にもならない。


■12月21日(水曜日)曇り、血中酸素97.脈拍65.血圧129~71.体温36.1C
コロナワクチン接種後副反応はないのだが、昨夜、注射した部分が痛くなってきた。朝になってもかなりの痛さ、腕が上がらない状態だが、徐々に収まるだろう。

(今日の夕食、クリックで拡大)
コロナワクチン接種跡の痛み収まった。今日の夕食は牛肉の塩コショウ焼だったが、あまり振りかけたせいか塩辛くて難儀したが、手羽先焼は絶品であった。


■12月20日(火曜日)晴れ、血中酸素97.脈拍70.血圧126~72.体温35.9C

(接種聡明、クリックで拡大)
相変らず寒い、北陸地方では交通網がストップしているらしい。雪の降らない関東地方に生まれて良かったと思う。高齢者の雪下ろしを考えたら恐ろしくなってくる。今日は第5回目のコロナワクチンの接種の日、かかりつけ医に4時15分頃に出向く、若先生の問診に上、第5回目のワクチンを接種する。前回と同じように全く副反応なしで安心した。


■12月19日(月曜日)晴れ、血中酸素98.脈拍69.血圧134~75.体温36.2C

(霜で真白、クリックで拡大)
今日は本当に寒い、朝5時半で応接間4℃、パソコンルーム3℃外はもちろん氷点下だろう。そんな日にかかりつけ医の定期健診、毎回同じことの繰り返しなので先日「薬だけ下さい」と言ったら「診察しないと薬は出せません」と言われてしまった。
胸の聴診器を当てて4~5回聞くだけなのにと思ったが「ハイ分りました」と言って診察して頂いた。

(今日の夕食、クリックで拡大)
今日は久しぶりに大先生、一人暮らしを心配されていて恐縮した。雑談になって、中学、高校、千葉大学医学部、と学生時代野球ばかりしてたと話していた。それでお医者になったのだからよほど頭が良いのだろうと感心してしまった。

■12月18日(日曜日)晴れ、血中酸素97.脈拍61.血圧124~67.体温36.1C

(柿木に隠れた月、クリックで拡大)
泣いても笑っても2022年はあと2週間になってしまった。時の流れは本当に早いがなにもやる事の無い爺にとっては一日はあまりにも長すぎるという矛盾が心の中で起こっている。昨夜は睡魔が襲ってきて8時にはねてしまい起きたのが4時8時間ぐっすり眠った。不調だった胃は解決して気にならなくなって良かった。健康管理には気を使ってるつもりだが酒はどうにもやめられない。

(今年の護摩札、クリックで拡大)
午前9時半ころ、長男が来た。屋敷内のドロボウ草を刈ってくれた。前から気になっていたがおかげさまでありがたい。あとは落ち葉の処理である。
午後になってお隣のNSさんが満福寺の来年正月の護摩札の申し込みで来た。家内安全で申し込みをした。雑談で高齢者が多くなって役の持ち回りが難しくなってきたと言っていた。確かにそうだ、3年後に我が家は地域の班長が来るらしい。3年後と言えば爺は88歳になるきっとそんな役はできないだろう。そんな時市としてはどうするのか・・・・・・・・

■12月17日(土曜日)曇り時々雨、血中酸素97.脈拍64.血圧129~68.体温36.3C
昨夜は3時ころトイレに行って、またウトウトしてたら6時30分になってしまった。体温計が作動しないという現象が起きて調べてみたら寒さの為らしく温めたら使えるようになった。7時頃からパソコンルームでホームページ更新、さあ~朝ごはんの準備開始だ!美味しくハムサンド頂きました。ボ~~として朝の体操、こんな生活だから楽しい訳無いよね!

■12月16日(金曜日)晴れ、血中酸素97.脈拍64.血圧133~72.体温36.1C

(PCルームストーブ、クリックで拡大)
朝5時32分パソコンルームは室温6℃、外は真っ暗で霜が降りているかは判らぬがきっと一面真白だろう。毛糸の帽子をかぶってホームページの更新。これからは益々防寒をしなければと考えている。今日は灯油が無くなってしまったので関口石油さんに配達していただいた。

(今日の夕食、クリックで拡大)
ポリ容器5個で73Lはいった。相変わらずの価格で8,395円でリッター115円であった。価格によっては灯油より電気の方が安いかもしれない。

■12月15日(木曜日)晴れ、血中酸素99.脈拍62.血圧129~71.体温36.3C

(川本郵便局、クリックで拡大)
今朝は非常に寒い、いよいよ冬本番となった。一昨日から始まった胃の重苦しさが何年振りかの2日間禁酒によって治ったようである。人間の身体の治癒力には感心してしまう。人間って判っていながら不摂生で自分で自分の身体を悪くして寿命を短くしているのだ。高齢者はその辺を十分注意する必要があるようだ。驚いたことに血中酸素を計測して初めて99の数値が表示された。酒を中断したおかげだろうか?
川本郵便局に1月2~3日行く予定の石和温泉かげつ代金をおろした。あと何回隆弘一家と新年温泉巡りが出来るだろう。少なくとも5回位は行けるよう足を鍛えなければと思っている

■12月14日(水曜日)晴れ、血中酸素98.脈拍61.血圧123~71.体温36.3C

(今朝のテラス、クリックで拡大)
昨日から胃の具合が良くない。痛みは感じないのだが、胃が重く感じて何も食べたくないのである。

(戴いた野菜、クリックで拡大)
キャベジンを飲んでみたが一向に収まりそうもない。その為、何カ月ぶりに昨夜は禁酒してみた。そのためか若干良くなったように感じている。当分禁酒としよう。一人暮らしだとちょっとした身体の不具合で不安になってしまうから困る。
午後になって修さんから白菜、大根、サニーレタスを頂いた。いつもお世話になっているのに本当にありがたい。美味しくいただかせて貰おう。

■12月13日(火曜日)雨のち曇りその後晴れ、血中酸素98.脈拍64.血圧131~71.体温36.4C

(体温計、クリックで拡大)
毎朝、健康チェックで血中酸素、血圧、体温を測っているのだが、体温は測る部位でかなり違うのである。オデコ、腕、手のひら、そして起きたばかりと起きて10分経った時とそれぞれ違ってくる。最近は計測する部位と時間を一定にすることにして測っている。
コロナの影響で取りやめていたJALホノルルマラソンが3年ぶりに開催されたようです。家内と一緒に歩いたカラカウア通ㇼを懐かしく見た。常夏のハワイもう一度行って見たい。

■12月12日(月曜日)晴れ、血中酸素97.脈拍61.血圧133~70.体温36.4C

(今朝のPCルーム、クリックで拡大)
毎日同じことの繰り返しにはホトホト嫌になってくる。変化を求めたいのだが歩行もおぼつかない老人には良いアイディアなんか出るはずも無い。動かず達磨さんのような一日、ますます体力が落ちていくように感じてる。時々歩けなくなった自分を想像して空恐ろしくなってくる。

(PCの立上げ時間、クリックで拡大)
爺はIT講習会やパソコン教室で常に「パソコンはメンテナンスをこまめにすれば常に最新の状態で使用できます。」と言い続けてきた。爺のディスクトップパソコンは7年も使用しているが電源を入れて使用開始まで15秒である。これは毎週行っているメンテナンスのおかげです。

■12月11日(日曜日)晴れのち曇り、血中酸素97.脈拍59.血圧139~74.体温36.4C

(ゆず収穫、クリックで拡大)
今日は1週間に1回飲む骨粗しょう症の薬を飲む日である。先週は飲み忘れて月曜日に飲むという失態をやらかしたので今週はテーブルの上に置き飲み忘れなきようにした。注意してくれる人がいないので自己管理する以外ないのである。

(ドロボウ草、クリックで拡大)
午後、退屈になったので屋敷内を散策、ゆずが色図いていたので収穫した。この春極端な選定をしたためあまり実らなかったが、白菜漬けに入れると素晴らしい柚子の香りが出て美味しく食べることが出来る。次回はゆず入りで白菜を漬けよう。歩いているとズボンにドロボウ草が纏わりついてきた。困った雑草である。

■12月10日(土曜日)晴れ、血中酸素97.脈拍60.血圧135~73.体温36.1C

(健康チェック中の爺)
相変らず今朝も寒い、一面の霜寒いわけである。昔学童の頃はもっと寒かったような気がする中学校は今の小学校の所にあって山の上にあったので霜柱が5㎝も生えていたのを記憶している。過去を振り返ってはいけないと思うのだが仕方がない。

(今日の夕食、クリック拡大)
午後することもないので40日ぶりにパチンコに行った。家内が亡くなってから勝っても負けても面白くないが時間つぶしにはちょうど良い。新台の「 Pルパン三世 2000カラットの涙」を打って見たのは良いが、1円パチンコで10,000円使っても1回も大当たりせず沈黙したまま終わってしまった。後日また挑戦して見よう。ゲーム的には非常に面白いと思う。

■12月 9日(金曜日)晴れ、血中酸素98.脈拍63.血圧124~70.体温36.4C

(健康器具にて足鍛える、クリック拡大)
4時に眼を覚ましたのだが寒いので6時まで布団の中に潜っていた。起きだして恒例の健康チェック、最近は血圧が非常に安定していて安心している。寒くなってきているので高血圧の爺は十分注意する必要がある。只、今ちょっと不安な事は朝おきた時に若干腰に違和感がある事だ、近い内にくろや整形外科医院へ行って見てもらおう。85歳の身体あちらこちらがボロボロなのだろう。 歩けなくなってしまっては人間終わりだと思うので、先月から長女の意見も聞いて足踏み自転車健康器具を10分間3回実施している。徐々に時間を伸ばしていこうと考えている。

(我が家の焼却炉、クリック拡大)
午後、暇なので20年前の今日何をしていたのか家計簿の日記欄を読んでみた。朝起きたら雪らしい、びわの木に雪が積もって垂れ下がって1か所折れた。そして、鳥たちが餌の取り合いをしている。柿の赤と雪の白で素敵な光景なので写真に撮って長女に送ったとも書かれていた。
夕方、積もり積もった燃えるごみを燃やした。一人暮らしだと何から何まで自分でしなければならず、思い腰をあげて頑張るのみである。「俺がやらなきゃ~~誰がやる!」精神である。

■12月 8日(木曜日)晴れ、血中酸素98.脈拍64.血圧130~73.体温36.1C

(我が家のお墓、クリック拡大)
今日は家内の命日、朝一番にお墓参りに行ってきた。2020年12月8日、午後7時頃にあねとす病院から「純子さんが危篤状態です。すぐ来てください。」と電話があり駆けつけた。心電図を見ながら担当医と一緒に純子の様子を見守っていた。そして、午後8時59分心電図の波が消えて一本の線となり純子は燃え尽きた。爺は頭の中が真白になっていた。53年間苦楽を共にしてきた家内との最後の別れであった。その時ようやく介護から解放されるという気持ちと凄まじい寂しさがこみあげてきた。あれから2年子供達や孫たちに励まされながら静かな一人暮らしを続けている。
そして、今日は太平洋戦争の開戦日である。日本は世界中から経済封鎖されたためついに真珠湾を攻撃したのであった。その後は東南アジアへ戦線を拡大していったが、物量の多い連合軍に敗北したのである。

■12月 7日(水曜日)晴れ、血中酸素97.脈拍63.血圧134~74.体温36.1C

(送られてきたお花、クリック拡大)
寒いわけだ!一面の霜である。パソコンルームの室温6℃であった。昨日、家内の学生時代のお友達からLINEが届いた。「純子さんの命日なのでお花を送ります。」と書かれていた。純子は多くの友達に囲まれて素晴らしい学生時代を過ごしたのだと思っている。

(今日の夕食、クリック拡大)
爺も家内の仲の良かった友達の家にお邪魔した記憶がある。確か浅草三社祭の時であった。家の前をお神輿が通過するのを家内と見ていたのを思い返している。
加藤さんから家内にお花が届くのでパソコンルームから応接間に移動した。なぜなら玄関の呼び鈴がパソコンルームでは聞こえないので配達の人にご迷惑をかけるからなのです。知っている人は部屋の前まで来て声掛けしてくれるが初めての人は留守だと思って帰ってしまうからである。

■12月 6日(火曜日)雨のち曇り、血中酸素97.脈拍64.血圧135~75.体温36.2C

(今朝の台所、クリック拡大)
今朝5時半に起床しパソコンルームに行くと室温が9度まで下がっていた。暖かだった日から急に寒くなると体感温度が非常に寒く感じてしまう.85歳の爺には堪える。最近、時々家内が残してくれた家計簿の日記の部分を見ている。とっくに忘れ去った事がシンプルに書かれていて懐かしく思い出している。

(今日の夕食、クリック拡大)
「過去を振り返らないで未来を見つめて生きるように!」と介護していた時にお袋に言っていたが、その言葉に反する生き方を今の爺はしている。

■12月 5日(月曜日)曇り、血中酸素98.脈拍66.血圧138~77.体温3

(川本直売所、クリック拡大)
気温が下がったのと同時に若干血圧が上がってきた。ヒートショックにならぬよう十分注意しなくてはと思っている。今日は朝一にJA深谷川本直売所へ買い物、

(今朝の売り場の白菜、クリック拡大)
ここの花は地元の花農家の方が出しているので花市場を通過していないので開花状態が長持ちをする。

(JA購入のお花、クリック拡大)
スーパーで購入する花は4日くらいしか持たないがJA深谷川本直売所で購入すると1週間以上は持つので非常に重宝している。そして、畠山地域で収穫した白菜などは栽培が砂地のためきめ細かく締まっていて柔らかく絶品である。
お仏壇に飾ったこの花いくらだと思いますか?なんと630円なのです。家内にいつもあげていますがお気に入りだと思っています。

■12月 4日(日曜日)晴れ、血中酸素98.脈拍67.血圧138~75.体温36.3C

(初霜が降りた!、クリックで拡大)
昨夜、7時45分頃から8時30分頃の間秩父夜祭の花火の音を聞くことが出来た。3年ぶりの秩父夜祭であったのでさぞ混雑したことだろう。そして、爺は9時間も寝てしまった。本当に睡眠は不規則である。

(電波時計、クリック拡大)
朝6時、パソコンルームは室温が7℃を指していたあまりの寒さにストーブをつけて温まるまでボ~としていた。その後、玄関を開けて外に出て見ると初霜が降りていた。寒いわけである。

(今日の夕食、クリック拡大)
午後、各部屋のカレンダーに2023年のカレンダいーを追加した。パソコンルームは家内の部屋で使っていたカシオの電波時計をつけたので来年はカレンダーを置かないことにした。この歳になって本当に忘れっぽくなって、薬の飲み忘れや2重飲みは大変な事なので日めくりカレンダーを台所につるして飲む度に記入している。

■12月 3日(土曜日)晴れ、血中酸素97.脈拍64.血圧129~74.体温36.4C

(寒々とした台所、クリックで拡大)
朝6時起床、毎日の健康チェックを行ってパソコンルームにてホームページの更新、なんと室温が7℃の一桁になっていた。寝室はエアコンがあるので気が付かないが12月になって冷え込みが強まった様に思う。誰あ~れもいない寒々とした台所に立って朝ごはんの準備をしてると虚しい気持ちになってきてしまう。

(家計簿、クリックで拡大)
仏壇に向かってあれ以来何回声をかけたことだろうか!一度も返事は帰ってこない。午前中、長年家内が付けていた家計簿を懐かしく見返していた。1992年3月の記録(爺の55歳の時)である。日記欄にはちょっとした事がメモされていてそんな事があったっけと忘れていたことが書かれている。1992年以前の家計簿も探し出して見よう。
午後6時30分頃からパソコンルームでネット見ていたら、深谷市の広報スピーカーから79歳の男性の行方が分からなくなっています、お心当たりの方はご連絡くださいと放送していた。爺ちゃんより6歳も若い方が行方不明とは・・・・・・・・・・、

■12月 2日(金曜日)曇り、血中酸素97.脈拍65.血圧138~75.体温36.4C

(秩父夜祭、クリックで拡大)
歴史ある秩父夜祭が3年ぶりに開催されるという。日本3大祇園祭、爺は行ったことがないが昔は秩父鉄道も終夜運転をして観光客を運んでいた。12月3日は花火が打ち上げられて我が家でも音を聞くことが出来る。TVなんかなかった時代は多くの観客が殺到して寒さしのぎに映画館で暖を取ったと聞いている。

(セット物食材、クリックで拡大)
相変らず食欲はないのだが、生きるためには食わねばならず、仕方なく作っている。最近はPAL生協さんの鍋セットに凝っている。セットの中にはすべての食材と調味料が入っていて野菜も魚も肉も食べられて重宝しているた。すべてをぶっこんで火を通すだけで食べることが出来るので便利なのだ。2人前だから次の日の昼食まで楽しんでいる。

■12月 1日(木曜日)曇り、血中酸素96.脈拍69.血圧128~75.体温36.3C

(初冬の我が家の風景、クリックで拡大)
我が家は元禄時代にこの畠山に住み着き何代にも亘り、先祖は清水家を繁栄させて来た。これからどうなるかは想像さえつかぬが長男が何とか管理してくれるであろう。
泣いてもも笑っても令和4年はあと31日で終わる。11月26日に純子の3回忌法要を済ませてほっとしている。純子は7年前ころから認知症の症状が出て、亡くなる1カ月前からはガクッと悪化して、最後は立つ事も出来ず目も見えなくなってしまい、苦しい介護の日々であったが生きているだけで幸せであった。

(健康器具自転車、クリックで拡大)
心残りなのは純子立場に沿っての介護が出来なかったことである。しかし、ハワイ、アメリカグランドサークルや日本中を旅したのを感謝していたので許してくれるものと思っている。この間、家内の3回忌の時に泊まった介護福祉士の長女から健康器具自転車があるならそれを使用して足を鍛えたらと言っていたので月曜日から開始した。

(今日の夕食、クリックで拡大)
以前使用していた時は1日3回30分くらい鍛えていたが、今回は何と5分と持たないで足が悲鳴をあげてしまった。まずは抵抗を調節しながら1日に10分3回と決めて始めることにした。頑張れ爺ちゃんである。