開設:2005.3.22.                                                   

平成23年11月

■11月30日(水曜日)
今日からわが家は柚子湯とすることにした。

わが家の柚子は小ぶりで香りが強く、お湯につかりながら、手ぬぐいの袋の中の柚子をプッチとつぶすと辺り一面柚子の香りだらけとなってとても気持ちがよい。お風呂に入れるのもいいが、日本食の薬味として うどんに入れてもよし、白菜づけの中に入れるとほのかな柚子の香りがしておいしい。この繊細な香りを味わうのは日本人くらいだろうと思う。

■11月29日(火曜日)
わが家の聖護院大根が大きく育って鍋にするととろけるような美味しさである。

今日、家内と買い物に行き、ブリカマを購入して聖護院大根と煮ることにした。家に帰って、畑の大根を抜いて見たら、何という事でしょう、艶めかしい形の聖護院大根が出てきた。台所にいた家内に見せたら笑い出してしまった。食べてしまうのがもったいないような聖護院大根の収穫でした。

■11月27日(日曜日)
我が街のゴミゼロ運動の日なり。
年2回のゴミゼロの日で近隣の人達がポイ捨てで散らかった空き缶や空きペットボトルや空き瓶を拾う運動を行った。人々のモラルが低下したのはいつの頃からであったのだろう。いまや日本は最低のモラルで河川敷や里山がゴミに埋めつくされているように感じてならない。自分だけ良ければいいという人種が倒壊した教育の産物として世の中に産み出されているのだろう。嘆かわしき哉である

■11月25日(金曜日)
朝晩めっきり冷え込むようになってきた。初霜も近いことだろう。

一昨日と今日の2日間で屋敷内を草刈りを行う。最近、足が弱くなってきて2時間も草刈り機で草を刈っていると右足のふくらはぎに痛みを感じて2分くらい休む状態になってしまった。まだまだ弱るのは早すぎると鞭打って頑張っている。
朝晩めっきり寒くなってきて、初霜、初氷も近いだろう。初霜が降りたらわが家のキーウィの収穫だ。サラダでいただくと大変栄養があって良いらしい。今年は目いっぱい剪定してしまったので15個くらいしか実らず寂しい限りだが一つ一つが実に大きい。孫が大好きなのだが今年は送ってやれそうもない。

■11月21日(月曜日)
18年前に4級アマチュア無線技士に挑戦して合格、無線局を開設したのだが、あまりにも4級アマチュア無線の出力の低さで中断していた。

先日、インターネットでアマチュア無線関連を見ていたら、何とモールスの受信と送信が試験科目から削除されたと書かれていた。12年前、3級アマチュア無線技士試験を目指したがモールスで挫折してそのままになっていた。モールスさえなければ1級も夢ではなくなってきた。来年は各役職が終了するのでアマチュア無線の3級にチャレンジし、2級、1級へとチャレンジすることにした。爺は常に何かにチャレンジしていないと無気力になってしまうので格好の目標が出来てわくわくしだしてきた。 昔使用していた送受信機ケンウッドFT-850を出して電源を入れて見ると問題なく聞こえてくるではないか!、リニアーアンプでもつけて50W~200Wにパワーアップすれば使えそうである。



■11月20日(日曜日)
昨日の雨が上がって、生温かい朝を迎えた。白鳥が飛来したので会いに行ってきた。
白鳥が飛来する荒川はこんなところなのです。今年の夏の増水で河原はきれいな玉砂利となっていたが、今年から監視員がいないのだと掲示してあった。

10月に2羽来たと報道されたが、その時と変わらぬ状態であった。ここ二日ばかり暖かな日が続いているので後発隊も酒田あたりで羽を休めているのだろう。12月に入れば20羽30羽と次々飛来して、我町を飾ってくれるだろう。

■11月19日(土曜日)
今日は雨で天気予報では気温が上がるはずが何故か寒い!

家内に云われて暖房機器を出した。家内と二人っきりの生活なのに、石油ストーブ1台、石油ファンヒーター4台を使用している。元来ファンヒーター1台でいいのだが、持ち運びが大変と各部屋に1台ずつ置くことになってしまった。この歳になると気温の変化が体調の変化となって表れるのだから仕方がないことなのだ。

■11月18日(金曜日)
今年も遠いシベリアからハクチョウが当地にやってきtた。

一昨年から、鳥インフルエンザの関係で絵付けを中止して飛来するかどうかと気をもんでいたが、去年は180羽も飛来した。今年も10月半ばに2羽が確認されたが、白鳥は先発隊がいったん飛来して現状確認をし、いったん戻って群れに安全報告をし、その後飛来地へとやってくのだそうである。なんとかしこい生き物であろう。白鳥には国境などなく自由に行き来できるのがうらやましい限りだ。いつの日にか人類もそうなるであろうか? 今の世界情勢をみると夢のまた夢にすぎないかもしれない。

■11月16日(水曜日)
ここ1週間外出ばかりで、今日は久しぶりに農作業!

大根やほうれん草の草むしりと畝間を耕した。夏の雑草は影をひそめたが、季節が替わって冬草が繁茂し始めた。夏草より茎が柔らかいから草刈り機で刈るには楽なのだがやはり広すぎる屋敷にはほとほと困ったものである。朝晩めっきり寒くなって、冷たい空気の所へ行くと咳が止まらなくなって、定期検診でみてもらったが異常なしであった。

■11月14日(月曜日)
今日で熊連協文化祭も好評のうちに終了!

文化祭実行委員の皆さまお疲れ様でした。これからも健康に留意されまして、ご活躍されることを祈っています。

■11月12日(土曜日)
昨日から、熊谷市立緑化センター1階フロアーをお借りして、熊連協の文化祭開催している。

る。文化祭実行委員会の主体にして展示会場をセッティングする。書・絵画・写真・文芸・手工芸・陶芸・盆栽と多岐にわたって、158点の申し込みがあり、受展示品受付付が大混乱、なんとか12時までに受付と展示が完了した。

作者は出来るだけ良いところに展示してほしいのだろうが、文化祭実行委員会に一任していただいた。

文化祭も回を重ねているのでこれを目標に創作活動をしている人もいる。 しかし、趣味とはいえ傑作ぞろいには感心してしまう。

る。文化祭実行委員会の主体にして展示会場をセッティングする。書・絵画・写真・文芸・手工芸・陶芸・盆栽と多岐にわたって、158点の申し込みがあった。 文化祭が生きがいになっているとしたら、事務局としたら嬉しい限りである。

■11月11日(金曜日)
今日は長女の誕生日なり。

12冊あるアルバムの中で、爺一番のお気に入り写真を取り上げて見た。
長女の誕生日は土曜日であった。家内の実家から、生まれそうなので入院したと勤務先に連絡があり、会社は午前中で終わりだったので帰る準備をしていたら、同僚や先輩が、"今入院したなら、おみっちゃん(爺の会社での愛称)生まれるのは夜中だよ"と言われて、マージャンを少しやろうということになってしまった。半チャンを6回くらいやって中央線の武蔵境駅を降り日本赤十字病院へ歩いていると前方から家内の母が歩いてくるではないか!
"何やってるのよ!生まれちゃったわよ!"と大目玉を喰らってしまった。看護婦さんに"元気な女の子ですよ"と言われ、人生味わったことのない複雑な気持ちになったのを記憶している。
今思えば、昭和42年2月25日に結婚し、子供たちが生まれ、長女が小学校に入学のころ実家に引っ込み転職、転職先が大手企業に買収されて爺は冷や飯を食い、そんな泣き笑い人生を過ごしてこれたのも、子供たちがいたからだこそと思っている。時の流れとは早いもので、長女も44歳になった。健康に気をつけ、家族を大事にして、誰からも好かれる人になってほしいと祈っている。
爺も元気に頑張っているから・・・・・・・・

■11月10日(木曜日)
美味しいシメジ大豊作!

ご近所さんからいただいたシメジのホダ木、先日美味しくいただきもう生えないだろうと思っていて、家内も掘り出して捨てたらと言っていたが、いやいやその言葉がホダ木に聞こえたのか分からぬが、あちらこちらからシメジがニョキニョキ生えてきた。キノコの菌のすごさに爺は驚いている。もう2日くらいしたら、シメジを焼いて、美味しい焼酎を一杯といくとするか!

■11月9日(水曜日)
熊谷スポーツ文化公園のボランティアで公園事務所の対応に呆れてしまった。

彩の国いきがい大学熊谷学園校友会で毎月2回実施しているボランティアで公園側の対応の悪さで1年間イライラしていたが、今回は完全に呆れてしまった。前回、担当課長に11月12月の実施日を事前に伝えておいたのに"忙しくて現場まで作業道具を届けられない"と言うのだ!これで作業前の準備間に合わずが、4回目である。滅多に怒らぬ爺も堪忍袋の緒が切れた。事務所側に強硬に苦情を申し入れたのである。 会員が早朝より老体に鞭打ちながら、花壇のメンテナンスをしているのをいかに考えているのかと・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

■11月8日(火曜日)
彩の国いきがい大学32期のクラブ活動PC&DCClubへ外出。

相変わらず、皆さん熱心に励んでいる。11月11日からの熊連協文化祭への出品作品を作成している。最近、爺は多忙で飛び石参加でこの作品づくりはまだ未完成で、文化祭までにまにあうかどうか怪しいものである。クラブのホームページもそろそろ皆さんで作成するようにしなければと思っているが、何分にも使用ソフトで思案していて、いまだ方針が出ていないのが実情、フリーソフトのホームページマネージャーにするか、ホームページビルダーにするか、ソフトの問題が一番悩みなり。爺はDreamweaver MXを使っているのだが、あまりにも高価で会員同士で使用するのが難しい状況なのである。他のソフトについては全く白紙状態で、知らない。一から両ソフトをマスターしなければならないようである。

■11月7日(月曜日)

秋空に鈴なりの柿の実が映える。今年はどこの家の柿の木も鈴なり豊作、食生活が豊かになってあまり柿を食わなくなってしまって、メジロやヒヨドリが喜んでいる。爺は熟しすぎた柿は苦手なものだから、わが家の柿は全く減らない。秋深くなると熟しすぎて、ぐじゅぐじゅになって、落ちて冬になっていく。もうすぐ霜が降りて老体には厳しい季節となるが、まだまだこれからが我が人生と思う。

■11月6日(日曜日)
熊連協会長と伊奈町 へ出かけた。

埼玉県主催の彩の国いきいきフェスティバルが行われて、熊連協校友会35期生が昔の子供の遊びという出し物で出展しているので、陣中見舞の為に出かけたのだ。5年前、爺たちが出展した頃はお客さんはまばらであったが、今はすごい混雑で驚きである。

口コミでどんどん広がってきたのと県も力を入れてきたのだろう。また、埼玉県民活動総合センターの設備は素晴らしく、大ホールあり、研修室あり、宿泊施設あり、PC室あり、至れり尽くせりなのだから、県民もどんどん使用するべきであろう。

■11月4日(金曜日)
最近、 爺は飲み会でカラオケを歌う機会が多くなって"有楽町で逢いましょう"をネットで練習している。

若き頃は丸の内に勤めていたので、有楽町、銀座、赤坂は爺のホームグランドであった。土曜日は会社が半ドンだったのでロードショウを鑑賞をするのが恒例となっていて、爺は有楽町の映画館街をいつも闊歩していた。そして日劇のビルの中に、東宝が運営するクラブやカレー専門店があって1週間に一度はそれぞれに顔を出していていた。、また、銀座には"吉岡"という高級クラブがあり、赤坂には"ざくろ"という高級レストランがあって、会社の上司によく連れて行ってもらった。そんな爺だったから給料のほとんどが飲食代やパチンコ代に消えてしまっていた。
当時のパチンコは立ったままで左手で球を機械に入れて右手でバネのついたレバーをはじくのが主流であり、有楽町にも多くのパチンコ屋が存在した。いつだったか有楽町に降り立った時、そのパチンコ屋が存在していたのには感激してしまって、一寸覗いてしまった。


先日、「あの時、この時、東京紀行」で東京を周ったのだが爺のころの東京の面影は消え失せ、全く別物になっていた。
古きものを捨て去ってしまうのが果たして良いことなのか、ヨーロッパのように何百年も古きものを大切にする国は素晴らしいと思うのだが・・・・・・・

■11月2日(水曜日)
文化祭の準備で熊谷市民活動支援センターへ出かけた。

熊谷市社会福祉協議会が熊谷市民の地域活動を支援する設備で爺たちは大変お世話になっている。
今風の事業仕訳にかかったら、事業縮小と言われるかもしれないが、国家や自治体の事業について、損得のみによって廃止するとしたらおかしな話である。国貧しくとも教育や医療が無料の国が地球上には存在する。それを考えたら、国として地方自治体として、国民の為に何を成すべきかを考え、残すべき事業は残すべきである。
11月11日から14日までの熊連協文化祭、作品157点もの申し込みがあり執行部一同感激している。そのパンフレット作りを熊連協三役を召集して行った。

■11月1日(火曜日)
いよいよ文化祭の季節となって、熊連協でも大忙しである。

それより2月に行われる芸能祭が大変である。21期生から35期生まで各期で5組の申し込みがあって、65演目にもなって、10時~16時まで熊谷市文化会館大ホールを借り切って行うのだから、事務局は大忙しである。今からぼちぼち、プログラム作りを始めた。物事、先手先手と処理するのが爺のモットー、みんなに喜ばれる芸能祭にしたいものである。