開設:2005.3.22.                                                  

平成23年10月

■10月31日(月曜日)
秋も終りに近づいて、昆虫たちも大変だ!
散歩の途中でふっと足元を見たら、イナゴが歩道を這っていた。秋も段々と深くなってもうわずかな命を一生懸命生きている。爺の子供のころは農薬の空中散布などなく、2時間も田んぼの中でイナゴを取っていれば手ぬぐいを半分に切って作った袋一杯取れたものだ。それを祖母が甘辛く煮付けてくれたのが美味しく今でも忘れない。観光地などに行くとイナゴの甘露煮を売っているが比べ物にならぬ!死ぬまでに一度イナゴ取りをしたいものである。

■10月29日(土曜日)
やっと葉物が安くなってきた。
9月10日に種を蒔いた野菜が収穫期となって、みずみずしいものを美味しくいただいている。かき菜は塩で浅漬けにして食べているが高血圧の爺にはあまりよくない。毎年ホウレン草にチャレンジしていつも失敗していたのだが、今年は大成功、やわらかく甘みのある素晴らしいのが出来て胡麻和えやみそ汁で楽しんでいる。自分で作ったのだから完全無農薬、安心して食べられる。 しかし、青虫を除去するのが大変、毎日1Cm位のが10匹位葉にへばりついていてそれを取り除くのだ。美味しいものは青虫も知っているのだろう。

■10月27日(木曜日)
朝の散歩も足の痛くなることもなく順調なり。
今日はグランドゴルフ用グラウンドを2周し、芝生の感触をスニーカーに感じながらの散歩でした。このグランドは埼玉県で国体を開催した時、グランドゴルフに使用した専用のグランドで、爺たちがボランティアで草刈りをした手作りのグランドなのだ。グランドゴルフが4面取れ、外周が1000m位あって散歩に最適なのですが、グランドゴルフが未使用の時のみ爺はコッソリ使用している。

■10月26日(水曜日)
熊谷スポーツ文化公園のボランティア、秋の花苗の植え付け。
今日はボランティアがてっきり9時30分からと錯覚してしまって、ギリギリ9時00分に間に合った。スタッフの皆さんがひやひやしてわが家に電話したらしく、家内がてんてこ舞いしていた。

いつもは90人前後の人達にボランティア奉仕へご協力いただいているのだが、今日は154人ものご協力を頂き、感謝、感謝でした。

秋の花苗の植え付けはビオラで2560株を各花壇へ植え付けた。紫、黄、白、オレンジ、ピンク、青とカラフルな花壇となって秋から冬を飾ってくれるだろう。
年間を通して健康で笑顔で地域に奉仕することが出来る幸せを皆さんかみしめているようであった。


■10月25日(火曜日)

人は忙しさにかまけて自然現象をゆっくり見るなんてことは全くしないだろう。爺も現役のころは雲なんて改めて見た事もなかった。今、毎日が日曜日となって、時々空を見上げている。
改めて、大空を見上げて雲をみていると、以外と人間は雲によって感情を動かされ、思い出を振り返させられてきたことに気づく。
入道雲を見ると、何故かわくわくしてきて、

爺は真っ裸で水中メガネをかけて、魚をひっかけていた学童のころを思うし、

秋の雲を見れば何故か寒々しくなってきてしまう。人は自然を見て心を動かし和む生き物なのであろう。
時々は、足を止めて、大空を見上げて流れゆく雲を見ようではないか!
嫌なことも、泣きたいことも、苦しいことも、きっと和らいでくる!

■10月23日(日曜日)
5月に咲いてその後家内が刈り取ってしまった、クレマチスが芽を伸ばし2度目の花を咲かせた。
以前はこの部屋の目隠しの為に一列の植えたのが年月を経て3本位になってしまったのを一か所に集め、その1本が今でも元気で花を咲かせてくれる。花や野菜や果樹に囲まれての田舎暮らしは楽しいが、切符の買い方が分からなくなってしまうような田舎ボケにならぬよう気をつけなければと思う。

■10月22日(土曜日)
朝から深谷しみん大学の講義と運営委員会のため出かけた。
東都医療大学で、"いき活きと老いる" の講演を聞いた。その中でとても良い事をいっていた。
「人間関係が良いと社会が広がり、自己の存在価値が認識できる。存在価値が認識できると心豊かにいきいきと活動できる」と言うのである。爺も人との付き合いを大切にしていて、人間晩年の財産はお金ではなく、心許せる友人が何人いるかだと思っている。午後は深谷市教育委員会の深谷市しみん大学の運営委員会。
爺はいつも疑問に思っているのは、地方自治体が借金までして、私設の大学を運営する必要があるのだろうかということなのだ。ほかの自治体もやっているから遅れを取ってはいけないとやっているにすぎないと思う。経費削減の為にも、自治体の住民へのサービスを洗い直す必要があるのではないだろうか!本当に疲れた一日であった。

■10月21日(金曜日)
毎日散歩を再開して1週間がたった。

歩く道の周りはすっかり秋づいてきて草花が最後の力を振り絞って咲いている。外来種のセイタカアワダチソウが盛りである。このセイタカアワダチソウを見ると爺はいつも20年前位に毎年見に行っていた鈴鹿のF1を思い出す。名古屋から鈴鹿サーキット駅まで線路わきに多くのセイタカアワダチソウが咲いていたのである。

■10月19日(水曜日)
昭和12年10月19日が爺の誕生日なり。

この日は熊谷市郊外の三ヶ尻飛行場の飛行機が墜落して三尻村拾六間は大変な日であったとお袋から後で聞いた。昭和12年は盧溝橋事件を発端として日本軍は北支へ進軍し、軍国主義へと歩みつつある厳しい時代であったらしい。幼少のころ、拾六間の祖母が、毎日ラジオから聞こえてくる大本営発表の占領の報道通りに、大きな東南アジアの地図にピン付きの日の丸の旗を立てていて、その旗が増えるのが子供心にうれしかったのをわずかながら記憶している。その後昭和20年までは食うものも食わずで、"欲しがりません勝までは!"の凄まじい時代であった。 今思うとあっという間の流れの中を爺は生かされてきたように思えてならない。 そして、この流れが途切れてしまう時が来るのと時々思うようになってきた。

■10月17日(月曜日)
近所の家から頂いたキノコのホダ木にキノコが・・・・・

柳の木を輪切りにして、菌を植え付けたものを日陰の地中に半分ほど埋めて置いたのだ。いや~珍しいので楽しみにしていたら、今朝、ぞり生えているではないか!そしたら、その裏の家から大量のキノコを頂き、今日わが家はキノコづくしなり。

■10月16日(日曜日)
先日、赤い彼岸花が咲いて、すでに枯れてしまったが

それを追いかけるように、黄色の彼岸花が咲きだした。何年前だったか鹿児島に家内と旅した時に開聞岳の観光案内所で購入したものなのだ。先日、白い彼岸花を見たが、日本には何色の彼岸花があるのだろうか、紫の彼岸花なんてけっこういけるのでは・・・・・・・

■10月15日(土曜日)
またまた、自動車事故?

何ともお恥ずかしい次第です。わが家の屋敷内で外出の為にプリウスの向きを変えるためにバックさせたのですが、後方でショックを感じて降りて見るとなんとそこには家内の車!、家内の車はフロントバンパーと右全照灯ぐにゃり、爺の車は見ての通りなり。いつもなら2台平行に止めているのが、その日に限り90度向きを違えて駐車していたのです。 バックする先には車が無いと決め、全く後ろも見ずにバックしていたのです。注意が散漫にしてやり切れない落ち込みの爺でした。
その修理費用見積もり¥170,000円なり。とほほほ・・・・・・・・・・・・・・・・

■10月14日(金曜日)
昨日から畳屋さんが来ている。

6帖と4帖半を畳床からすべて新しくした。何年使ったのか定かでない旧畳は裏の山林へ敷き詰めた。荒川が見える裏山はバーベキューでもしながらビヤーパーティーに最高の環境となってしまった。畳屋さんの話では日本のイグサ農家は後継者が無く、やめてしまう農家が多く、今は中国からの輸入に頼っているらしい。しかし、品質が悪くなって困っているという。それに畳屋さんも後継者がいないというのである。日本の伝統工芸が、また一つ消えてゆくのだろうか?寂しい限りである。
   "畳と女房は新しいのがいい !"と昔の人はよく言ったものだ!

■10月13日(木曜日)
荒川の河川敷を毎日の散歩コースにしている。

その河川敷のその汚いこと。上の写真は電気配線のコードがトラック一台分河川敷の道端に廃棄されている写真なのだ!。日本のモラルが最悪なのは前々から分かっていた事だが、実際に目の前に事実を突き付けられると怒りがこみあげてくる。なぜこれほどまでモラルが失われて、自分だけ良ければいいという人種が増えたのだろうか?最早、日本は救いようのない国になってしまったようである

■10月12日(水曜日)
熊谷スポーツ文化公園のボランティアの日、朝から快晴なり。

春、植えた花苗木を撤去する作業を行った。熊連協の仲間たち101名が参加し、あっという間の作業であった。会長も今年のボランティア参加者が昨年を上回って上機嫌。これも皆さんが健康だからこそ出来るのだと思う。

■10月10日(月曜日)
朝の散歩で植松グランドまで歩いた。歩く道すがら小さな樫の木に実がついていた、爺が幼少のころはおもちゃなどはなく、この実に楊枝をさしてコマとして遊んだものだ。

すっかり秋らしくなって、道端の畑では蕎麦の花が満開、今年も美味しい蕎麦がたくさん食べられそうである。 この地方も農家を相続するが若者は無く、農家自体が高齢化して休耕の農地が多くなってきた。それを借り上げての農業法人が出来年間を通じて、麦や米や蕎麦を作っているのである。日本の農業はどうなるのであろうか?

■10月9日(日曜日)
今年4回目の庭の草刈りを行った。

去年は草刈りを実施したのち、1週間後位に除草剤を散布していたが、去年の10月の交通事故で右鎖骨骨折をしたため25キロの機械を背負う事が出来ずについに一度も撒かずに終わりそうである。
除草剤自体、ベトナム戦争の枯れ葉剤の進化したものだから身体い良いはずもないので結果としては良かったのかもしれないが雑草の生命力には驚かされる

■10月8日(土曜日)
爺は30年前から高血圧と糖尿病を患っているので一日10000歩を目標にして去年まで頑張ってきた。

贅沢病と言われる糖尿病は歩くことが一番の薬で、人間の治癒力は本当の素晴らしいと感じていた。しかし、去年の交通事故後、散歩を休止して、どうも体調がよろしくないので、また少しずつ、歩き始めることにした。久しぶりに見る農業用水ダムは先日の台風の影響で土砂で埋め尽くされていた。今年も何百万ものものお金を使ってシュンセツ作業をするのだろう。ダムとは洪水によって埋まると考えた方がいいのだろうか?


10月6日(木曜日)
庭の
金木犀(キンモクセイ)
が満開となった。

家の周りがとても素晴らしい香りが漂って気持ちがよい。このにおいを嗅ぐと運動会を連想して心がはやるのは爺だけだろうか?
孫の運動会もすでに終わってしまって、来年も元気に見に行けるか心もとないが、時の流れには勝てないのが現実である。しかし秋は寂しいが、本当に素晴らしい季節である。

■10月5日(水曜日)
トヨタ西東京カローラで買ったプリウスの1年点検を近所のネッツトヨタウエスト埼玉花園インター店にお願 爺の自動車の購入方法はインターネット上で探すのである。各販売店がお客の為に試乗車置いていて、半年ごとに新車へと交換をするため、走行距離が少ない新古車がインターネット上にあるのだ。それをまめにチェックしていてこれぞと思う車を購入するのである。もちろん現物を見ないで販売店を信用して購入するのだから、賭けにもなるが、トヨタの販売店は信用できる。

■10月4日(火曜日)
9月10日に蒔いた、聖護院大根と青首大根が大きくなったので間引きを行った。

間引いたこの大根をよく洗って枯れ枝や土を取り除き塩で浅漬けにして食すことにした。高血圧症の爺にはいけないのだが、美味しいものを食べないなんて何のために生きてるのか分からなくなってしまうではないか!新鮮な野菜をいっぱい食べて、"糖尿病や高血圧飛んでけ~"なんて呑気なことを言ってたら、主治医の怒った顔が浮かんできた。

■10月3日(月曜日)
長年使ってきたノートパソコンがただの箱となってしまった。

うんともすんとも言わなくなってしまったのはNECのVersaProである。購入時にWindows XPのインストールされたノートをあっちこっち探してやっと購入したお気に入りの機器であったが、ついに力尽きてしまった。寿命にしては早いように思うが仕方がない。次のノートの購入に際し、視力が衰えたのでディスプレイ17インチ以上のノートを買おうとあれこれ検討して、富士通 FMV LIFEBOOK NH77/DDビターブラックに決めた。バックライトが白LEDの為か非常にきれいで、処理速度もまあまあ、5年間のノートパソコンの変わりように驚きなり。これが爺の最後のパソコンになるのだろうか!

■10月2日(日曜日)
わが家の屋敷内は秋たけなわ、家内が植えた彼岸花満開なり。

今は赤い彼岸花だが、少し遅れて黄色彼岸花が咲きだす。黄色彼岸花は鹿児島へ旅した時、開聞岳の観光案内所で売っていたのを買ってきて植えたのである。しかし、赤い彼岸花と異なり、黄色彼岸花は繁殖力が弱く一向に増えないのである。元来、彼岸花は赤だったのだろう、人間が加工して黄色彼岸花を作りだしたのではないだろうか、それゆえ虚弱なのかもしれない。彼岸花は茎の部分に毒があるとのこと、まだ死ぬのは嫌だから十分注意しよう。
10月1日(土曜日)
孫の運動会へ家内と一緒に外出する。

さいたま市は爺の住んでいる地域と違って、学童も多く活気のある運動会であった。天候もうす曇りと絶好の運動会日和、素晴らしい歓声と子供たちを見て、爺も若がえたような気がしてきた。外孫の一番年長は来年は高校生になるのだから、故障がちな夫婦が年を取るのは当たり前である。