開設:2005.3.22.                                                

27年8月

■8月28日(金曜日)
専攻課程1期PCクラブの勉強会の日、全くの初心者もいればワードを使える人もいる。スキルがまちまちでどこに基準を置いたらいいのかと迷ってしまう。
9月の新学期から、初心者は「よくわかる、初心者のためのパソコン入門」、中級者はフリーソフトの「Photo Scape」を使用して写真加工を2ヶ月くらい実施しようと考えている。
爺はパソコンこそ高齢者の使うべき道具と思っているから、シルバーになってパソコンを習いたいという人たちの気持ちを大切の育てよう。

■8月24日(月曜日)
爺の運転で久しぶりに家内を正田眼科へ外出

涙が出ない「ドライアイ」でもらった目薬がなくなってしまったというので、家内の体力が持つかどうかわからぬが連れてゆくことにした。
とにかく患者の多いこと、午前中で100名もの患者を診るという。待合室はじいさんばあさんでいっぱい。白内障の患者さん、長生きのおかげなのだろうか?

■8月23日(日曜日)
永平寺町九頭竜フェスティバルの日である。



 「曹洞宗大本山永平寺の役寮(やくりょう)、雲衲衆(うんのうしゅう)約120名による大施食法要(読経)が営まれた後、 先人たちへの「愛と感謝」及び先祖への想いを込めた約1万個の燈籠が流され、川面にまたたくような幻想的な光の帯をつくります。」
なぜそんなことに興味を持っているかと云うと、爺が大学を卒業して就職した会社に、1年先輩でSさんがいたのです。川本町からの通勤が大変だろうとSさんの好意で下宿に居候をさせてもらったのです。そして、食事や遊びを1年半くらい一緒に行動をしていたのですが、 爺は親父が倒れたため、退職し実家に帰ったのです。その後、Sさんもお父さんが亡くなり、実家の寺院を継いだのです。
喜寿を迎え、お世話になった人に死ぬまでにもう一度会いたいと思い、Sさんは福井のお寺の出と記憶にあったのでインターネットで検索してみたのです。そうすると福井新聞サイトにSさんが永平寺の稚児たちに囲まれた記事が乗っていたのです。



びっくりし、電話してみると「生きてたか!、元気か!、昔は無茶したのう!、一度永平寺に来い!」と電話の向こうから聞きなれた45年ぶりの懐かしい声が聞こえてきたのです。
話し出すと懐かしい思い出が駆け巡り「死ぬまでに一度お会いしたい」と電話を切った。
その後、Sさんは永平寺の監院に就任し、永平寺のトップとなったのです。
Sさんに会うには永平寺の長い回廊を歩かなければならず、爺も足を鍛えなければと思っている。

■8月22日(土曜日)
毎日、猛暑や外出で我が家の庭はお化け屋敷状態に雑草が生い茂ってしまった。以前、4サイクルエンジンの草刈り機を購入したが、使用中にガソリンを補充しよとエンジンを切ってしまうと全くエンジンがかからないと代物、仕方なく電動を購入し、併用することにした。



屋敷内の庭が700坪もあるのだから、たまったものではない。毎年、草との戦争である。



爺の体力の続く限り、やらねばならぬ。
まず、エンジン草刈り機でガソリンがなくなるまで使用し、冷えるまで、電動草刈り機を使用する。エンジンが冷えたところで、また、エンジン草刈り機を使用する繰り返し、順調に作業消化。いや~疲れる!

■8月19日(水曜日)
彩の国いきがい大学熊谷学園のホームページのリニューアルをお手伝いする日なり
午前9時に約束してるので、家を8時20分に出発する。



以前から、熊谷学園のホームページは在ったのだが、ホームページとしての形態を保っていなかったのです。
なぜなら、ホームページの管理運営は学生のまかせっきりだったのです。CSSもHTMLも解らぬ学生が作成するホームページは見るに堪えないものであることは想像できるでしょう。
そのため、所長の一声でリニューアルいすることになり、爺にお声がかかったのです。
頼まれれば「いや」と言えない爺の事、一肌脱ぐこととなった。

■8月16日(日曜日)


今日は送り盆、例年なら午後送るのであるが、家内の体調の具合で午前中に送ることにした。
最近の家内は若干認知症のような症状が出始めてきた。前からゆくゆくは老老介護となるであろうと思ってはいたが、ついに現実になりつつある。
お墓に持っていく花束を家内自身が2個持っているのに、「なぜ2個買ってこなかったの!」という。
何とも悲しくなってきた。