平成23年12月
■12月29日(木曜日)
いよいよわが家の裏に白鳥が飛来した。
今年は早々と2羽が飛来していたが、その後一向に飛来せず心配していたが、本格的な冷え込みとともに数
十羽が返ってきた。そのうちの1グループが去年同様わが家の裏の河原に姿を現した。白鳥も派閥があるらし
く、一昨年餌付を中止してから、数グループになって別れ別れに行動するようになってきた。日本のお偉いさ
んのような派閥争いが白鳥の中にもあるのかもしれない。世知辛く暮らしにくい世の中、人間も白鳥も感ずるところは同じなのだろう。
■12月27日(火曜日)
最近、爺は多感な青春の世界が夢に出てくるようになってきた。
爺の青春はフランスやイタリア映画に 熱中していた。埼玉の片田舎で育った爺にとってはフランスやイタリ
アの未知の世界は眩い世界であった。イヴモンタンのシャンソンは天から聞こえてくるような唄に感じていた
。実際は現実と映画の架空の世界が一つになって若き爺の頭脳に混乱を起し、そして刻まれて、今では言葉に
表せないほどの興奮を心に記録していたように思う。青春とは繊細で二度と味わえない素晴らしきものであった。
■12月26日(月曜日)
シャコバサボテンが満開。
家内が面倒を見てるサボテンが今まさに満開、年越しの頃が近づいてくると一斉にサボテンの先に花芽を出し
てきて一斉に咲きだすのである。この寒風すさむ季節に赤や白やピンクのかわいらしい花を見せてくれる。玄関先に飾って家内は満足そう。
■12月24日(土曜日)
わが家の老夫婦2人のクリスマスイブ!
子供たちが居るころは大きなクリスマスケーキを買って来て、にわかクリスチャンで楽しんだのだが、家内と二
人になってからはケーキはこんなものになってしまった。お互いが糖尿病で食事制限をしてる状態なのだから仕方がない。
独身の頃はクリスマスが近づいてくると街のネオンと音楽に誘われて、何か良いことが起こるような予感がし
て銀座や新宿を飲み歩いたものだ。今になって思えば良く身体を壊さなかったものだと思う。これから何回ク
リスマスを迎える事が出来るだろう。
■12月22日(木曜日)
今日はめっきり寒い!
今週からアマチュア無線2級を目指して無線工学から始めた。何としても文系の頭脳しか持ち合わせていない爺の事
、公式 f0=1/{2π√(L0C0)}
なんてのが出てくるとインターネットで解析のサイトを探して進むというスローテンポの学習法、いやはや3歩
進んで2歩下がるである。電気回路や電子回路が難しい。送信機や受信機については以前から興味があったので
問題はないのだが・・・・・・
とにかく道遠しである。4月までには合格ラインまで頑張ろう!
■12月18日(日曜日)
12月の3級アマチュア無線技士試験合格。
爺は中学の頃ラジオ少年であった。毎日中学校までの徒歩20分の登下校で「初歩のラジオ」を読みながら登校し
たものである。当時、近隣では「あれだけ勉強すればK校に合格するわよ」と噂になっていたそうである。今になっ
てそのラジオ少年の心がよみがえってアマチュア無線と言う事になった。アマチュア無線3級に合格したことで、
出力50Wが可能となった。そして、来年4月の2級アマチュア無線技士の試験にチャレンジすることにした。爺の
文系の頭脳では無線工学の計算問題はかなり高いハードルなのだが74歳の手習い痴呆になりかけた脳をフル回転し
て頑張るしかない。秋には200Wの出力で世界へ電波を出すのを夢見ている。
■12月16日(金曜日)
彩の国いきがい大学東松山学園の仲間たちとの忘年クリスマス会。
健康づくりクラスの仲間が12名勢ぞろいした。久しぶりの集まりでやあ~やあ~と大騒ぎなり!
飲むほどに酔うほどにワイワイガヤガヤ・・・・・・
あみだくじでブランド物が大当たりしてまた大騒ぎ。とにかく楽しい。欠席が多かったのは忘年会が重なってしまった事
が原因らしい。来年はお互いのスケジュールの確認をしてから決めよう。
■12月13日(火曜日)
トヨタのプリウスを購入して以来、定期点検をしていなかったのでネッツトヨタウエスト埼玉花園インター店
プリウスを購入したのが八王子のトヨタ西東京カローラだったので、近くのトヨタ店を紹介してもらったのである。初めての
お店であったが、従業員の教育が行き届いていて、久しぶりに気持ちの良い対応に感激した。企業とは人材の質で決まると
以前どなたからか聞いたことがある。久しぶりにすがすがしい気分になった。
■12月8日(水曜日)
今日は70年前太平洋戦争に突入した日である。
当時、爺は3歳であったから全く記憶していない。70年もたってしまえば当時を知る人は80歳をゆうに超えてしまって
いるし、「欲しがりません、勝までは!」という言葉を知る人も少なくなってしまった。若者は平和ボケで戦争なんてTVゲー
ムだと思っている。しかし、今の戦争はそうとも言えるようなのである。無人飛行機を遠い本国から操縦し、敵の陣地に爆弾
を落としたり、機銃掃射したりしているのがアフガン戦争であるらしいのだ。そうなると、TVゲームそのものの世界ではない
か!これから先どんな戦争形態になってゆくのだろう。
■12月7日(水曜日)
一昨日から作成していた年賀状が完成した。
ワードを使っての年賀状の作製は今年で何回目になるだろう?一年の締めくくりが年賀状の作成なので一生懸命作るのだが
何回やっても旨くならない。不器用な爺の事仕方ないか?今年は3パターン作成。親しき友用、親戚用、お世話になった方用、
である。後は投函するのみなり
■12月5日(月曜日)
今年も残すところ26日になってしまった。
会社を辞めてから、年賀状の枚数は減ったが来年は35枚くらい用意した。今日からパソコンで年賀状作りなり。辰年とのこ
とでキャノンのサイトから年賀状の素材をダウンロードして作る予定だ。ご無沙汰した友への1年1回の挨拶、心をこめて作
ろうと思っている。これから歳を重ねて行くたびに年賀状を出す友が減ってゆくのは寂しいかぎりである。
■12月4日(日曜日)
三日ぶりに明るい太陽が見えた。この歳になると曇り空は気分がめいっていけない。
寒冷前線が通過し、今朝は北風が強く、北側の木々から落ち葉が舞い落ちて庭一面落ち葉のじゅうたん。毎年の恒例の事だが、
わが家の庭中から熊手で落ち葉を集めるとリヤカー15台にもなってしまうのだ。そしてその落ち葉を燃やして灰を作り、その
灰を家庭菜園にしてる畑に撒いて土作りに利用している。その結果がみずみずしい野菜となって戻ってくるのである。今から、
来年の為に、腐葉土やたい肥や灰を入れて土づくりなり。
■ 12月2日(金曜日)
昨日から秩父夜祭なり!
爺の幼き頃はTVもなくインターネットもなく娯楽そのものがかぎられていたので、地域のお祭りはどこも盛大でにぎわったのである。
秩父鉄道は今のように終夜運転など行わず、集まった観客は映画館で暖を取って夜を明かしたのです。今は娯楽の多様化で若者は古
き伝統のある祭りから心が離れてしまったが、そのような結果が、人の心を殺伐としゆとりなき生き方をしているのではないだろうか
?田舎の祭りが一つまた一つと消えてゆくのを寂しく思うのは爺ばかりだろうか?