国の盛衰は教育のあり。

教育について

ゆとり教育問題が話題になっている。新聞やTVでいろいろな意見が交錯してる。
両親は自分の子供が評価基準の上に居てほしいから、お金を出して塾に通わせ不足部分を補わせている。
教育も時代とともに変わって、お金を掛けた者ほど一流大学へ入学するという現象が顕著になってきた。果たしてそれでよいのだろうか?
爺は受験用学習方法が社会へ出たときに役立つとは思わない。
それゆえ、国際社会での日本の学生の応用力や独創力がどんどん下がっている。
外国のある私立学校ではフリーカリキュラムで自由に協議検討をし、一つの問題を一カ月かけて答えを見いだし、答えがいくつもある事を教えてるようだ。要するに、自分で考えさせてみんなとディスカッションしながら答えを見いだしていく方法らしい。
一人一人の意見を尊重し、ものの見方や判断を相手に押し付けないことを学ばせるのだ。
ヨーロッパでは多く用いられている手法らしい。
文部科学省のお偉いさんにはこんな発想は出てこないだろう。
日本の学生の読解力、思考力、創造力が落ち込んでいる現実を謙虚に受け止め、文部科学省は改革を進めるべきである。
爺が入社したころ、日本鋼管の重役さんと食事をした。
その時、重役さんがこんな事を言った。
「わしは子供たちにお金を残さないのだよ、お金を残すと争って兄弟別れ別れになってしまうし、相続税もかかるだろう。だからお金をかけて教育するのだ。 教育に数億円かければどんな子でも一流になれるからさ、それに教育費には相続税はかからんからな」
と、きっと重役さんは日本の教育法を信じていなかったのかもしれない。
その時、爺は「金のない奴は一流になれないんですか?」と聞きたかったが、やめた。
日本の若者は大学入試までにエネルギーを使い果たしてしまい、入学したとたん、学問を放棄してしまうのだ。
そして、そんな人達が国を動かすなんて事になったら空恐ろしくなる。